naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

平成ウルトラマン様-2(1999)

平成ウルトラマン様-2  (ちょっと濃いかな)

(前回の続き)
なかなか文章で伝えるのは大変だが、すこしは雰囲気が伝わっただろうか。
昔よりも映像はリアルに、ストーリーもリアルになっている。しかし、いまどきこんな子供はいないというくらい純粋な子供と、最後のご都合主義・・・このあたりがニフティなどでマニアのやり玉に上がったところなのだが、おそらくスタッフもそれを意識した上であえてこうしたのだと思う。僕の解釈は・・・。

昔の子供と今の子供、なにが違うというのか。昔だって幼稚な子供番組を見れば見抜くし、純粋とはほど遠い子供も多かった。ただ、ストレートな正義とは何か、というのは子供の世界にはあって、たとえそれが嘘とわかっていても、その世界に逃げ込めた。

あのころだって社会不安は多かった。ベトナム全学連、冷戦、公害・・・・。ある意味、漫画やテレビの作り手が未熟だったとも言えるが、子供の世界にそれはあからさまには出さなかった。
今は、その点、子供番組を見ても(NHKであっても)不安、破滅、死がいっぱいだ。いやそれは昔もそうだったし、子供番組だからいかんというつもりはさらさらない。ただ、最後に「正義は勝つ」だったのが、今は「正義」がない。
1999年7月はとうにすぎたが、人類の滅亡後に、いくら愛だ、正義だ、いわれても、それは後の祭りというものだ。

はっきり言おう。僕は「北斗の拳」は嫌いなのだ。社会に立ちこめる厭世観、閉塞感がそのまま子供社会にも蔓延している。今こそ大人は子供にとってのウルトラマンでなくてはならない。

ウルトラマンであることは本当につらい。

いろいろな矛盾をかかえながら戦い続けるのだから。そして子供にその希望がなくなったとき、本当に破滅が来る。これは自明のことなのだ。
平成ウルトラは僕にとって、子供番組としての見方とそれを受けての親の立場での見方の両方ができた番組であった。そして脚本家やスタッフも僕と同世代であると知って、きっとそういう気持ちだろうと合点してしまうのであった。

「ティガ」のあと、「ダイナ」は幼稚園児以下を重視した結果、この視点がぼけてしまったが、最終作である「ガイア」では力の入った展開が見られた。
その最終回では、・・・「根源的破滅招来体」の生体兵器「天使」は二人のウルトラマン「ガイア」と「アグル」から「光」を奪い、変身できなくなった彼等に、戦闘チーム「XIG」と天才集団「アルケミスターズ」は地球怪獣から発せられた「光」を戦闘機に搭載したシールドバリアで反射、集光して「光」を再び与えた。変身したウルトラマンが「天使」を倒す。・・・という展開で「ティガ」に似ていたのは御愛嬌だがより人間の努力が強調されたストーリーであった。

最近ではばかにされるようになった努力とがんばり・・・。そんな風潮がこの閉塞感、無力感を生み出す。それに対し愚直に立ち向かった平成ウルトラシリーズに改めて拍手をおくりたい。

1999年9月15日