naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

鉄腕アトム(2000)

鉄腕アトム

鉄腕アトムは言わずと知れた手塚治虫作のロボットですが、一時期ロボットというものはオートメーションロボットであって、アトムのような人間を模したロボットなど不要だ、という意見が強かったと思います。
そうしていくうち、ロボットという言葉の持っていた輝きが失われ、コンピュータ制御の機械という意味にしか感じられなくなりました。最近、テレビニュースなどで、こうした一度は否定された人間型(動物型)ロボットの研究開発がまた盛んになってきたことが紹介されています。こういった番組の一つ(NHK)で立花隆氏がおもしろいことを言っていました。人間型ロボットは日本が一番進んでいること、その主体は鉄腕アトム世代であること、というのです。
鉄腕アトムは1951年(昭和26年)に連載が開始され、(当初アトム大使という別の漫画だった)1968年(昭和43年)まで続き、その後も単発で続きました。ですがアトム世代といえば1950-1960年生まれくらいではないでしょうか。すると、自分も含め、50-40歳の世代です。この世代がようやくいろいろな面で発言力もでてきて、しかも技術屋になったきっかけが「アトムを作りたい」という子供の頃の夢だったわけです。テレビでは早稲田などの研究室やホンダなどの企業の紹介がありましたが、教授やチームリーダーがこの世代のようです。自分も振り返るとアトムの影響を強く受けています。あの当時の子供漫画、番組にはよく博士や科学者が出てきましたが、大体ロボットを作る人が多くて、お茶の水博士がその代表でした。僕が機械を専攻したのもこの記憶が影響しなかったとは言い切れません。

「アトム」はその名の通り小型原子炉を体内に持っていて発電した電気エネルギーで動く(このへんの設定は後年変わっていったようだ)のだが、手塚の年令から言って原子爆弾のことは十分知っているはずだし、ましてや医学博士である。なのにこの名前はちょっと疑問である。最近の放射線事故だけでなく、かつてはビキニ環礁の原爆実験など、日本にとって原爆以降、良い印象がない。実際の所は分らないが、当初から手塚はアトムが好きではなかったようだ。実際アトムは何度も壊れ、終盤(青騎士の回)で再起不能に壊されて、僕の読んでいたカッパコミックスはここで終わっている。実は「少年」連載は以降も続き、雑誌廃刊の1968年3月号でも爆破され壊れたアトムがお茶の水博士に修理されたところで終わっている。1964年から始まったテレビシリーズでは最終回で、人類を救うため核融合阻止装置をかかえ、太陽に突っ込んでいく。そしてその後サンケイ新聞での連載ではなんと未来から過去(1969年つまり連載当時)へタイムスリップしたアトムは1993年!に力つき、谷川岳の山中に眠る。そして2003年アトムの完成時にタイムスリップして朽ち果てたアトムは、タイムパラドックスを解消するため、爆破されてしまう!いやはや、これだけ各種の結末があるのに、どれ一つとしてハッピーエンドではないのである。もっともことあるごとにアトムは復活して、1980年にも新作テレビが放映されたが、手塚もアトムは完結していないと言っていた。
手塚はアトムのテーマは人間に差別されるロボットの葛藤だそうで、決して科学賛歌ではないと言う。事実、アトムは七つの威力を持つ十万馬力のスーパーロボットにもかかわらず、悩み、泣く。手塚治虫は科学を信じてはいなかった。力だけの科学は悪として悩みながら進歩していくアトムを描いた。だからそのアトムが一般には科学賛歌としか受け取られていない状況が嫌になってアトムが嫌いになったという。しかし1989年に手塚治虫が亡くなる前、やっと鉄腕アトムを自分の代表作と認めている。

ただの機械であるロボットに人間のそぶりや、温かさを求めるのは、日本のアトム世代の特徴かも知れないですね。今の経営者世代や、外国では無駄なもの、役に立たないものと思われている節もあります。でも僕はそれが無駄なことなんて全然思いません。近い将来、介護などでロボットが生活の中に入ってくると思われます。そのとき、日本のこの技術が花開くことを願っています。でも・・・・その前に人間がもっと人間的になることの方がが先決ですね。

鉄腕アトム(ロボット 天馬トビオ)誕生は2003年。彼は天馬博士の事故死した息子の身替わりとして製作された・・・。

2000年1月22日