naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

手塚治虫と宮﨑駿 2

今回の記述を書くにあたっては、手塚治虫展のカタログを購入しなかったので手元で確認しながら書くものではない。従って思い違いもあるかもしれない。
その骨子は、以下のURLにある。

宮崎駿さんの手塚体験 「原点だから崇拝しない」」
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_eventnews_20090414b.htm

ここにある文章よりももっと辛辣だったのは、”手塚治虫をただ崇拝するものはおろか”といった発言だった。そのあとには、筆者ですら褒め過ぎではないかと思うくらいの崇拝者の言葉があるのだから、カタログ制作者はなんともバランス感覚というよりも挑発的な人物だ。

宮﨑駿は、手塚治虫が亡くなったときに”はじめて”、手塚批判を行っている。1989年手塚治虫の漫画雑誌追悼号で行った批判は次の通り。

宮崎は手塚の漫画史における重要性を強調しつつ「だけどアニメーションに関しては(略)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです」と述べ、スタッフに過酷な労働を強いる制作環境や組織に対する意識の低さを批判した。(「手塚治虫に「神の手」を見たとき、ぼくは彼と訣別した」『COMIC BOX』1989年5月号にて。出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

ここでいう、意識の低さ、とは以下のことをさしている。
「昭和38年に彼は、一本50万円という安価で日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を始めました。その前例のおかげで、以後アニメの制作費が常に安いという弊害が生まれました。」

宮﨑駿は東映動画労働組合書記長をやっていたので、余計にそのことを根に持っているのだろう。

たしかに手塚自身、結果的に失敗だった(実際倒産している)と言っているが、もともと一番の好きな性格とアニメーションが好きだった純粋さが、新しい日本のテレビアニメ第一号「鉄腕アトム」を生む時の行き過ぎた情熱であったとしても、それは突破口を開くためには仕方なかったのではないか。

むしろ、その後のアニメーション業界を救えなかったのは、労働組合だった宮﨑の方に責任があると思う。この学生運動世代、とくに後期の、は、労働運動ばかりで仕事もせず、文句ばかり言って何も作り出せず、結果何か達成したものがあるのだろうか。宮﨑らはこの時期も仕事の結果を残しているが、その後のあの有名な「アルプスの少女ハイジ」のことを「(会社のために)仕方なくやった」と発言しているあたり、会社に対する当事者意識の欠如では無いだろうか。

宮﨑駿は、1941年1月5日生まれ、前期の全学連世代だからちょっとはましだ。裕福な家庭に生まれ、太平洋戦争中も不自由しなかったということだ。1963年 学習院大学政治経済学部卒業。東映動画入社。大学の同期には麻生太郎(2009年5月現在総理大臣)がいる。おぼっちゃまだ。


文句ばかりの筆者であるが、宮﨑駿のアニメーションも見て来た。しかし、昨今の宮﨑駿作品を崇拝する傾向は、疑問を感じている。これでは、宮﨑自身が手塚と同じ崇拝対象になってしまっているではないかとも思う。

筆者が幸いだったのは、はじめて宮﨑アニメをちゃんと見たのは「となりのトトロ」だったことだ。これは、昭和30年代の関東近郊の森の中で暮らす精霊と少女との出会いを描いた物語である。ほのぼのとした話に、妹の家出、行方不明そして母親の病気というドラマがあるが、最後のエンディングで母親の退院も描かれ、ハッピーエンドになる。

夏の関東近郊の田園風景が、筆者の記憶とも重なり、特にその夕景が美しい。これをまだ小さかった娘とテレビで見てから、宮﨑駿のスタジオジブリ作品に興味を持った。

遡って、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」を見直してみたりしたが、正直言ってナウシカあたりはアニメマニアが賞賛するほどの感銘は無かった。その世界観が、破滅的であったことと、ラピュタの城が崩壊し、脱出するときのスリルは面白かったものの、他のアニメと比べてそれほどすごいとは思わなかったということだろう。

その後の、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」がいけなかった。話の内容はまあ、つまらないとは言わないものの、”普通”にドラマを作っていて、あざとい。そして筆者の最も嫌なところは、物が「腐ってドロドロになって流れる」描写だ。これはナウシカの「腐海」もそうだが、「もののけ」のディダラボッチが朝日を浴びて崩壊するところとか、「千」のカオナシが嘔吐するところなどが、一緒に見せていた子供の目を塞いでしまったくらい、ひどいものだった。

崖の上のポニョ」はこんなものは出てこないだろうと思って、子供と見たが、「波」の描写が気持ち悪いのだが、そこではないところがひっかかった。
話が良くない。
魚の子ポニョが人間の子宗介に会いたくて、大津波に乗ってくるのだが、その結果、町は水没、父の乗る船も「船の墓場」(=沈没と同じ)に行ってしまう。
津波の翌日、平然とポニョは食事をし、夜中に老人ホームを見に行き行方不明の宗介の母親をさがしに町へ出る。すると町は水没しており、避難した(と思われる)人々はボートに乗りながら、何事も無かったように赤ん坊をあやす母親、水難訓練?をする水兵?と海上で出会うのだが、いずれも(現実離れして)「生きている人間」ではない描写だ。

さらに宗介の母親の車は無人で放置され、その死がうかがえる。
水没した(!)老人ホームには、口から泡を出しながら人がおり、そこから逃げ出した老婆が、「だまされてはいけない!」と言いながらも、結局捕われ、皆が水中に入ってしまうが、いつしか口から泡がでなくなっている(死んだ?水中生物になった?)。

最後にポニョが人間になっておしまい、という展開で、子供たちはよかったね、と言っていたが、やはり何故、水中で息が出来ていたのか不思議がっていた。(フジモトという半魚人ですら水中では空気のたまった金魚鉢?をかぶっているが途中からなにもかぶらなくなっている)

昔、少年ジャンプで、星野之宣の『ブルーシティー』という漫画があって、水没した海に、主人公の母親も「半魚人」になって暮らしている、というものがあった。この漫画はそこから母親らを救出する話だった。
しかし、ポニョの場合、これでは、地上は水没したが、皆も半魚人になって良かった良かった、で終わっているのではないか!。

こう解釈できる、というかそれを狙っているような話は納得がいく物ではない。特に子供向けとしては。(宮﨑駿自身もNHK番組において「温暖化による海面上昇」を意図したと語っている)
まったく救いの無い「滅亡」のアニメを子供たちに見せたかったのか?。

「ポニョ」の企画意図には宮﨑自身が「神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである」とあるが、筆者には宮﨑駿が神経症で、その内面の吐露を見せられているような気がしてならない。


まあ、こう書いたところで、宮﨑駿はこの映画で各賞を受賞しているのは間違えなく、意味のないことだろう。しかし、ゴッホの絵を賞賛するような「芸術」の世界と、いままさに不安の世界に生きる子供へ見せたいアニメーションとは明確に区別したいと思うのである。

で、結論として、手塚治虫も宮﨑駿も「天才」だということか。