naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

旧・東海道の面影3  品濃一里塚

今回は、「品濃一里塚」を取り上げます。 地図のように一里塚は焼餅坂の先の東海道にあります。 1961map 品濃一里塚は、江戸時代初期、慶長9年(1604)に造られた日本橋から9番目の一里塚です。江戸時代のまま両側の2つの塚が現存していることでも有名です。 東戸塚駅が出来て、訪れる人も多くなった様ですが、正直言ってどこなのかよく分かりにくいので、東戸塚駅を出て、ダイエーを抜けた環状二号線の上からたどってみましょう。 Sk201 振り返ると高層マンションが建ち、駅まで空中歩道を通って行けます。 Sk203 1985年のほぼ同じ地点から見た東戸塚駅と富士山。このあたりの変化は激しいので、過去に撮った写真を見るともうどこだか分からなくなりそうです。 P6520140619_151602dsc_1349 もともとこの歩道は旧東海道脇に造られています。まさかこんなに唐突にショッピング街へ出る歩道が出来るとは思いませんでした。ですから一歩旧東海道に出るともうどこにさっきの歩道が有るのかも分からなくなる静かな雰囲気です。 Sk202 ここから北=境木、江戸方向へ向かいます。 すると木立が見えてきます。ここが品濃一里塚です。 Sk204 1980年頃の同じ地点です。あまり変わらないように見えますが、左手の住宅が増えましたね。 Sk302 道の右手(東側)には古い看板が有ります。当初はこれもなかったのでここが一里塚とはわかりませんでした。 Sk206 こちら側の塚は、住宅地になっているので、公園になっています。入口は反対側の筋ですが、公園になったのは近年のことです。 Sk205 東海道左手、西側の一里塚です。 大きな案内板が目を引きます。先述のような内容の一里塚の詳しい説明と、「東海道分間延絵図」があり、昔の東海道を説明しています。 Sk207 境木側から見た写真。 Sk277 境木方向を見た写真。左手に登る野道があります。 Sk220140613_103246dsc_09362 この写真は同じ地点を撮った1980年頃の写真です。左手に登る小道は、実は大昔から有る道で、前回にふれた境木小学校マラソンコースでもありました。 この先は、尾根づたいに後述の「武相国境道」へつながっていましたが、東戸塚の開発でこの先の山が切り崩され、行き止まりになってしまいました。 Sk303 現在の野道です。この先は行き止まり。 Sk210 この道から、一里塚上部に出来た公園に入れます。が、こんなところに公園があっても来る人は?。 Sk208 その脇にあるお墓です。江戸時代のものです。見えているお墓の文化14年とは1818年のことです。 Sk209 ここから左に曲がって少し南へ下ると東戸塚へ出る道に出ます。この写真は1985年頃の一里塚を見上げた構図です。大きな旧家が残っていますが、こちらは以前藁葺き屋根のお宅でした。 Sk314 下った先は現在「環2品濃」交差点につながる道です。 20140613_124341dsc_1204_2 同じ地点の、1979年の写真です。東戸塚の開発は1970年頃に元々あった田畑や山を切り崩したあと、10年近く放置されていましたが、ようやく工事が再開された頃です。 P12120140619_155650dsc_1409 舗装されたのは1985年頃でした。まだまだ開発前の土地が広がっておりました。まさかこの写真の左右に延びる道が環状二号線になるとは想像できませんでした。 P7220140619_152013dsc_1356 1979年の写真ですが、現在の環状二号線に立って、環2境木交差点方向を見ています。このように山が残っていますが、全て切り崩されて平坦になっています。この山は、先ほどの一里塚まで続いておりました。さらに尾根伝いに「武相国境道」が遠く二俣川へ続いていました。次回にご紹介します。 Sk315