旧・東海道散歩 保土ヶ谷宿ー神奈川宿
旧東海道の散歩シリーズ;)です。
実際には昨年の権太坂から保土ヶ谷町元町までの写真と、この10月末に家内と歩いた保土ヶ谷町二丁目から横浜駅までの二回に分けて歩いています。
まずは昨年、権太坂を下った元町橋から保土ヶ谷町方面へスタートです。
元町橋交差点から保土ヶ谷駅方向へ向かいます。
昭和30年代までは茅葺き屋根の民家が多かったそうです。1980年ごろまでは町屋造りの家も多く残っておりました。
「元町橋」バス停。
現在、国道1号線は狩場インター入口のある別経路になっていますが、以前は「新道」と呼ばれていて横浜新道と間違われていましたが、神奈川中央交通のバスは「新道経由」と表示していました。というのも横浜市営バスはこの「旧道」を通っていたから同じ経路なのに混乱するからでした。ちなみに二俣川行きの相鉄バスだけはここを通っています。
脇に入るとお稲荷さんがあります。
この稲荷は江戸時代の「東海道分間延絵図」に書かれています。
蔵が残っている御宅があります。
この神社は少し東海道線に入ったところにあります。
古地図によればこの道は元の今井川筋であって、明治初期の鉄道がまだ通っていない頃まで、今の神奈川坂下、元町橋ガードを抜けたところを通り、法泉町、今井町方面へ抜ける道でした。
またこの道の入り口が、現存しない本来の「元町橋」でした。
ちなみに今の元町橋は「東海道分間延絵図」では「権太坂下の橋」で、明治初期の地図には書かれていません。鉄道建設時に今井川の川筋が変更され、現「元町橋」が「新橋」としてかけられたのです。
樹源寺。昔は大欅がありました。鎌倉時代の開山です。
東海道線が奥を通っています。この鉄道の築堤はもちろん明治時代に作られたものですが、これは清水谷戸トンネルにかけて高度を上げなくてはならないので、当時の蒸気機関車の性能を鑑み、できるだけなだらかな勾配にしたいという考えからでした。
保土ヶ谷町2丁目バス停付近で、旧東海道と「新道」が合流します。
道路改修などでほとんど昔の状態はありませんが、今井川沿いに松並木を新たに作っています。
岩崎ガード。北側へ曲がると岩崎町、そして桜丘を抜けて星川へ至ります。神奈川坂(保土ヶ谷公園から元町橋ガード)と同じく比較的新しい道です。
ここから今年の写真。
今井川に沿って進むと大欅があります。
この辺りに保土ヶ谷宿の一里塚があったそうです。
明治時代に国道が整備されるときに、各地の一里塚は工事用の土砂に使えるためほとんど削られたそうで、保土ヶ谷も同じです。当時は古い江戸幕府のものは全て否定された「維新」の時代でした。
外川神社。比較的新しい江戸末期のものです。はじめ外川仙人大権現と称しましたが、明治二年の神仏分離令により、日本武尊を祭神と定め、社名を外川神社と改めました。ということです。
旅籠本金子屋跡です。
格子戸や通用門が当時の旅籠の雰囲気を伝えているますが現在の建物は明治2年(1869)の建築。だそうです。
筆者も学生時代、通学のバスからよく見ていましたが、この道沿いには古い家が多く残っていましたから普通に見ていました。
隣が脇本陣跡。今は消防署です。
続きます。
保土ヶ谷橋方向に向かうと蔵が見えてきます。
これが本陣跡です。
案内板。
このように今はこじんまりと見えます。
国道1号はこの先保土ヶ谷橋を渡って左に曲がりますが、旧東海道は川の手前を左に曲がります。渡った先の脇本陣跡。
少し戻って、東海道線を渡ります。
大仙寺というお寺があります。平安時代の開山です。
旧東海道をさらに東へ進みます。古い商店街です。
高札場跡の立て札。
問屋場跡の看板。保土ヶ谷宿のにぎわった場所は、ここより東側の岩間町、神戸(ごうど)町、帷子町になります。逆に今まで通ってきたところは今でも「保土ヶ谷町」ですが、「元町」になります。
保土ヶ谷駅西口に出ました。本来、駅の表玄関ですが、国道1号線が反対側を通ったため、バスの便の多い東口が利用客の多い駅です。昔の西口は未舗装で、貨物の集積所だったのですが、貨物ヤードが無くなった跡地にマンションもできて、整備されました。
保土ヶ谷の案内図。
今井川は駅西口下を流れています。
中橋跡の看板。今井川の改修の多さがわかります。
そこにある遍照寺。
街道筋を忍ばせる建物があります。
このような建物は少し前までは多かったと思います。
天徳院。安土桃山時代の開山。
神明大門跡交差点。相州道との分岐になります。この先は星川、仏向町といわくありげな地名に続きます。
相州道を少し行くと道祖神と新しい道標です。旧東海道の少し内陸側に古東海道と呼ばれる道があります。これは保土ヶ谷のあたりだけの道です。おそらく東海道ができてしばらくは古道の方を通り、本陣より先の元町が保土ヶ谷宿の中心だったのでしょう。
神明社。平安中期970年の創建ということですが、場所を変えながら江戸時代1619年に現地へ移築したことがわかっています。元は神戸(ごうど)山山頂にあったそうですが位置がはっきりしません。和田町から桜丘に向かう地名は明神だったりしますのでこの一帯が神社にまつわるものかもしれません。
相鉄天王町駅前にきました。
ここは旧帷子橋跡です。保土ヶ谷宿の浮世絵はほとんどこの帷子橋が題材になっていますが、この辺りは新町でした。
1964年に帷子川川筋が変更されるまではここは川でした。
今の帷子橋です。
橘樹神社。江戸時代は牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)といい天王町の由来となったということです。
進んでいくと横浜でも有名な洪福寺松原商店街に出ます。旧東海道沿いにあった松並木が由来です。
旧東海道はここを突っ切ります。折しもハロウインで賑わっていましたが、年末の買い物となるとここは横浜のアメ横と呼ばれるくらいの賑わいです。と言っても長年住んでいて行ったことがありません。
西側が絶壁のきわを進んでいきます。昔は海岸線だったことがわかります。
蔵のある御宅もあります。明治まではこの先は平沼の岸辺でした。
横浜にある浅間神社は1080年源頼朝が勧進、造営です。
首都高速が上を通ります。
鶴屋町の上台橋は昭和5年にできた切り通しにより分断された旧東海道を結ぶ。
以前紹介した神奈川宿関門跡に到着しました。結構歩きました。