旧・東海道散歩 戸塚宿
今回は、戸塚駅から西側へ向かいます。
昔、吉田元首相が開かずの踏切に腹を立て、迂回路を建設させたという「ワンマン道路」で有名な、戸塚大踏切は昨年廃止されました。その上にできた歩行者用デッキは「大踏切デッキ」と名前が付いていて、踏切の名残をとどめます。
2002年の戸塚大踏切。
2015年9月の大踏切デッキ。
数年前まで、この周辺の国道1号線沿いは、古い商店や建物が多く残っていましたが、だいぶ減ってしまいました。昔からある医院。
風呂屋。
デッキから「江戸方」を見る。再開発で一気に変わりました。
国道1号線はトンネルをくぐり、戸塚駅西側で元の道路につながります。
こちらも昔からある医院。周りの商店街が一気にビルになってしまい、埋もれています。
本陣跡。ご子孫がお住まいです。
その奥にある羽黒神社。
宿場の歴史をとどめ、保土ヶ谷と同じように神社やお寺が多くあります。
道標があります。
元は日立戸塚工場の前にあったものが移設されたそうですが、あまりに中途半端なところにあります。
「かまくら道」と東海道の分岐に建てられていた道標ですが、有名な広重の東海道五十三次戸塚宿の浮世絵に描かれた道標は吉田大橋のところにあったもので、これとは違うようです。
八坂神社
街道の面影をわずかに残す。
蔵が残っています。
お店になっています。
戸塚宿には多くの蔵があったようで、西口再開発前には駅前にも残っていました。2000年撮影。
さて、富塚八幡宮につきました。
この神社は「とみづか」という名称で、この裏山が古墳で、このことを富塚と言っているそうですが、戸塚の地名の語源とも言われています。
明治時代には「郷社」とされ、多くの地域住民は氏子として行政管理されました。
また富塚姓、戸塚姓の一族がここに多く住んでいたことからその発祥の地とされています。
延久4年(1072年)創建。
現在の社殿は、天保十二年、拝殿は昭和九年に氏子等が奉献したものだそうです。
先に進むと新しい上方見附跡があります。
道を挟んで松があります。サイゼリアが閉店して更地になっています。
ここまでくると「大坂」です。国道1号線の「ワンマン道路」と合流するまで坂が続きます。
この中腹には庚申塔がまとめて置かれています。
大坂を登りきると国道1号線です。この先も松並み木の一部が保存されていますが、今回はここまでです。