今回は東海道を戸塚から藤沢まで歩いてみることにしました。この区間は旧東海道ではありますが、現役で使われている国道1号線であり、交通量の多いところです。いささか散歩という雰囲気には程遠いのですが、昔の松並木が長年保存されてきたところですのでその現状も見てみようと思います。
冬の関東平野は晴天で遠く富士山も見えます。戸塚方向を東側の高台から望む。
戸塚駅から西口へ出て、戸塚警察署方向へは以前書いた(旧・東海道散歩 戸塚宿)ように「大坂」を登って行かなくてはなりません。
大坂下バス停前に、以前はファミレスでしたが今はコンビニになっていますが、戸塚宿の上方見附跡があります。
そこには浮世絵のエッチングが置かれていて、歌川広重の作で汲沢となっています。この坂の上です。
戸塚警察署へ行かずに登り続けると大坂上に出ます。東京方向。
京都いえ藤沢方向。西の方には丹沢が見えます。富士山は隠れて見えませんが、丹沢の左手にあります。広重の浮世絵はこの辺りなのでしょうか。
ところで最近、北斎の富嶽三十六景程ヶ谷が権太坂と地形の違いから品濃坂ではないかと言われたりしている様です。昔の東戸塚の景色を思うとそうかもしれないなと思う反面、富士山と丹沢との位置関係や大小関係がおかしいことや箱根がないことなどなど、そもそも浮世絵に写真の様な正確さを求めること自体ナンセンスだと筆者は思っています。筆者の見解はこの記事(旧・東海道の面影5 権太坂)に書いた時のままです。
戸塚大坂汲沢の浮世絵がどうかというと、富士山側が絶壁になっていること、箱根がないこと、手前の山が丹沢なら左右逆、などおかしな所もあります。もともと広重の東海道五十三次は実際に本人がその地に行ったかどうか疑わしかったり、位置関係が180度変わっていたりしているものもありますからもうどうでも良いのではないでしょうか。広重はただ大坂を登って見える富士山が気持ち良いことを描きたかったのかなと思うわけです。日本の浮世絵師はピカソ以前にキュービズムの領域に達していたのですね。
そこでここから少しだけ奥に入ってみました。今でも富士山がよく見える所です。
ここから国道1号線の交通量が多い道の歩道を歩くのですが、国道の左右は店舗などが立ち並んでいて、見通せません。
ここの地形を国土地理院の3D地図で見てみましょう。クリックすると3D地形図に飛んで自由に回転できます。
図は南側から見た地形で左が西です。このように東西は川に挟まれた河岸段丘の上を東海道は南下しています。おそらく昔は松並木の向こうに富士丹沢箱根が見え、東も戸塚から柏尾川沿いの景色がよく見えたことでしょう。
東側の方が切り立っているので、今でもところどころ戸塚の町がよく見えます。
1月に歩いた時には曇ってきてしまいました。かろうじて残る松並木です。この辺りは高圧線鉄塔がやたら多い印象です。作業も大変です。
途中、吹上から原宿にかけて、高速道路のIC建設工事中です。松並木も無くなりました。
原宿の一里塚跡も工事の外壁の一部になってます。
吹上交差点から深谷町に入ってみると富士山の見えるところがありました。
手前の大きな建物は、かつて横浜ドリームランドに建てられていたホテルです。閉園後も建物だけ残っていましたが取り壊しているのでしょう。
原宿交差点は昔渋滞の名所で、ラジオの交通情報ではよく聞く地名でした。「え、原宿なのに横浜の田舎?」なんてよく言いましたが。今は地下立体交差が完成してスムーズです。
近くには浅間神社があります。浅間神社は富士山信仰の神社です。やはり昔は富士山がよく見えたのでしょう。
浄土宗大運寺。
ここから昔の松並木が、と言いたいところですがそうではありません。
「影取の一本松」。倒木防止でしょうか、結構スパッと切ってます。
影取町の歩道橋から戸塚方向。この先あたりに昔「横浜ドリームランド」へ行くモノレールの鉄橋がかかっていたはずですが痕跡は分かりません。
影取を越え、東俣野は藤沢市との境です。ここで俣野別邸公園に立ち寄りました。ここは春の梅を見に行きたいのでまた記事にすると思います。
西に張り出した半円形の展望部屋があります。
ここは河岸段丘の端に当たるところで、富士山がよく見えます。
梅も咲き始めていました。
ここから1月に歩いた時の写真です。
1960年に松食い虫にやられてしまったそうであまり残っていないのが残念です。
遊行寺坂は箱根駅伝でも有名です。浮世絵にも出てきそうな松です。
遊行寺につきました。戸塚から結構歩きました。
その下には藤沢橋があります。江ノ島道との分岐になります。昔は旅人で賑わったそうです。
遊行寺橋は藤沢橋のすぐ隣です。ここも浮世絵で有名です。
藤沢宿の中心地は藤沢本町の方です。
妙善寺は日蓮宗。
立派な蔵がありました。藤沢本町は少し前まで古い家が残っていたのですがほとんどなくなっていました。
荘厳寺は真言宗のお寺です。
1184年開山の藤沢の中でも古いお寺です。元々この地にあったのですが火災焼失後、1747年に近くの別当であった白旗神社の隣に再建、明治期の神仏分離により1875年(明治8年)元のこの地に戻ったそうです。