naka-maの心言・2

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相模国分寺跡訪問(2022年6月)

梅雨空ですが、海老名へ行ってみました。海老名は神奈川県の中央にある町です。小田急相模鉄道、JR相模線が乗り入れている交通の便の良いところです。この20年で駅周辺の開発が進んで、大きな駅前ができています。

小田急の橋上駅舎からは東西にペデストリアンデッキが広がっています。東口に出て、マルイなどが入る「ビナウォーク」へ。大きなショッピング街です。なお、西口には「ららぽーと」もあって多くの買い物客が訪れるそうです。

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ショッピング広場(海老名中央公園)にいきなり七重の塔があります。ここから徒歩10分ほどで今回の目的地、「相模国分寺跡」につきました。

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国分寺奈良時代に当時の聖武天皇が命じて日本中に建立させた仏教寺院です。経典を納める七重塔を建設しましたが、全てが失われています。ここ相模国分寺も8世紀半ば創建後100年のうちに火災、地震により失われています。

なんせ古代のことなので、相模国分寺が本当にここなのか議論もあったようですが、少なくとも8世紀の相模国分寺はこの地にあったことが発掘された瓦などからわかっています。一方、通常国分寺国府(古代国の行政府)近くに作られるのに、付近に国府の遺跡がないことから疑問視する声もあります。ちなみに国府津国府の港を指すことから、国府はその近く、平塚や大磯にあった、または移転したとする説もあります。

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今地上にある七重塔の礎石はレプリカで実物は地中に埋め戻されて保存されています。塔の高さは65mあったと見られ、一度再建した痕跡があるそうです。

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史跡として公園に整備されています。

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塔の礎石の目の前には海老名市立郷土資料館「海老名市温故館」があります。1921年(大正10年)に海老名小学校校庭に当時の校長が尽力して設置された「遺物陳列館」を母体として、今の建物は1918年(大正7年)に建てられた海老名村役場庁舎を保存したものです。
当日見学者は筆者一人だけで職員の方に詳しく案内いただき、その上、VRゴーグルで古代の国分寺を七重塔の上から眺めることもできました。

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相模国分寺の復元模型。回廊内に塔と金堂が並ぶ「法隆寺伽藍」形式は珍しい。

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海老名周辺は、奈良時代どころか、旧石器時代から、縄文、弥生、古墳時代の遺跡があり、古代から住民がいたことがわかっています。ここにはそういった展示もあります。これを見て想像すると、古代東北地方の縄文文化がこの相模にも影響しており、かなりの勢力があったはずで、そこにヤマト中央政権が仏教で支配をするために建てた国分寺に反発があったのではないでしょうか。

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現在の相模国分寺は南に200m程のところにあります。鎌倉時代にここに移ったらしく、鎌倉時代の梵鐘があります。

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小さな境内には六地蔵があり、紫陽花が咲いていました。

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相模鉄道海老名駅から帰りました。乗り換えたいずみ野線では9000系の”本革シート”に座りました。

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筆者は相模国分寺について伝承だけでなく100年前には発掘調査されて保存されてきたことを初めて知りました。全国初の国分寺跡の史跡であるそうで、もっと知られても良いところだと思った次第です。