naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

横浜根岸森林公園(旧根岸競馬場 一等馬見所)

横浜の中でも、歴史的に見れば戸塚のような地域は鎌倉郡であって、明治期の横浜が本来の横浜と言えるかもしれません。ただ根岸地区は意外に横浜の中心から離れていて、また太平洋戦争後は米軍に一部接収されているために観光地のイメージはありません。

本牧、根岸は明治初期から外国人居留地の山手から近い景勝地としてひらけてきた歴史がある土地です。

今日はそんな根岸にある根岸森林公園を目指して歩きました。

伊勢佐木長者町駅まで地下鉄で行き、市営バスに乗り換えて山元町方面根岸台に行くことにしました。ところが乗ったバスは根岸台に行く手前で曲がってしまったので、山手駅付近で降り、桜道を歩いて山手地区へ登りました。

 

山手の通りは高級住宅が続きます。

先ほどバスで登ってきた打越町の坂。打越橋が架かっています。

山元町の商店街。休み明けの平日のためでしょうかシャッターが目立つ。

この先、森林公園まで行かず、旧根岸競馬場 一等馬見所を目指します。奥に巨大な建物が見えています。

浜競馬(よこはまけいばじょう、横濱競馬場 Yokohama Racecourse)は、かつて神奈川県横浜市(現在の中区根岸台)に存在した競馬場。1866年(慶応2年)に日本初となる常設の洋式競馬場として開設され、根岸競馬場(ねぎしけいばじょう)の名称で長らく定着していたが、1937年(昭和12年)の秋季競馬から「日本競馬会横浜競馬場」に改称され、1943年(昭和18年)に閉場された[4]

ウィキペディアより引用)

旧根岸競馬場 一等馬見所に到着。バラが咲いていました。

旧根岸競馬場 一等馬見所は、東京の旧丸ノ内ビルヂングの設計も手掛けたアメリカ人建築家J・H・モーガンによって設計され、1929年(昭和4年)に竣工した、ということです。

太平洋戦争終戦後、米軍に接収されていましたが、1981年に返還されています。米軍住宅が隣接していて、活用方法が見出せないまま、二等馬見所と下見所は1988年(昭和63年)に老朽化のため解体されてしまいました。この一等馬見所も老朽化が進んでいて横浜市はどうするつもりなのでしょうか。

横浜ランドマークタワーが遠くに見えます。

競馬場は森林公園として開放されています。ちょうど芝刈り作業が終わったばかりでした。

ここから根岸駅へ下ることにしました。ユーミンの歌詞でも有名なドルフィンというレストラン。

ここ不動坂は江戸時代から明治の写真に多く残り、本牧根岸の海岸が見通せて景勝地として有名でした。今は埋め立てられてコンビナートが見えるだけです。

歩行者は急な階段を降りると根岸駅に近いです。昔の海岸線の崖です。

筆者も横浜市民ですがなかなか地域が違うと行かないところが多く、ここも30年ぶりに訪れました。