横浜の港の見える丘公園はバラが満開です。
港の見える丘公園は、妙な名前ですが、ここは1962年(昭和37年)に進駐軍の接収が解除され横浜市が整備した公園です。その名称は流行歌「港の見える丘」からつけたそうですが作詞家は神戸出身だったとか。
バラ園の奥には大佛次郎記念館があります。
大佛次郎は横浜出身で鎌倉に住んだ縁で1978年(昭和53年)横浜に記念館ができました。バラ園はこれより後、2016年に整備されました。筆者の記憶でも港の見える丘公園は歌で有名な割に地味で静かな公園という印象でした。
この日は多くの観光客で賑わっていました。
大佛次郎記念館ではちょうど「星の文人 野尻抱影の宇宙」展が行われていたので初めて入ってみました。入場料200円で見ることができます。展示は8月末までです。
野尻抱影と聞いてわかる人は星好きに多いです。
野尻 抱影(のじり ほうえい、本名・正英(まさふさ)、1885年〈明治18年〉11月15日 - 1977年〈昭和52年〉10月30日)は、日本の英文学者・随筆家・天文民俗学者。早稲田大学文学部英文学科卒業。準惑星である冥王星の和訳命名者。(Wikipediaより)
生まれは横浜で、旧制中学は神奈川県立第一中学校(現・希望ヶ丘高校)でした。
なぜ大佛次郎記念館で展示をやるかというと、野尻抱影は大佛次郎の兄だからです。
大佛次郎本名・野尻清彦(のじりきよひこ)は3男2女の末っ子、野尻抱影本名・野尻正英(まさふさ)は長男です。
(筆者は知りませんでした;)
野尻抱影が星好きによく知られているわけは、星座の和名を集め出版した本が多数あり、研究社の社員だったこともあるのか中学生向きの著作が多く、その後の主に児童向け星座伝説の本にも数多く引用されていたからです。
また、渋谷の五島プラネタリウム創設に関わり理事を務めたこともあり、天文を子供に親しみやすく紹介した方です。
2階の中にも入ることができます。
ここに、野尻抱影が長年愛用した天体望遠鏡が展示されていました。
「宝島」翻訳本の収益で日本光学工業製口径4インチ(10cm)屈折望遠鏡を購入したそうです。
昭和3年(1928年)製、第101号の銘板。101は初号機ということです。(ちなみに0号機?は昭和天皇に献上されたそう)(日本光学工業が国立科学博物館の20cm屈折赤道儀を製造設置したのが昭和6年(1931年)なのでそれより前)
木箱の裏に野尻抱影の記述があります。
この天体望遠鏡を「宝島」に出てくる大砲の名前「ロング・トム」と命名するほど大事にしたそうです。
ちなみに当時の価格で600円、現在の貨幣価値で200ー300万円という記述を見つけました。口径10cmの望遠鏡を作れるのは海外メーカーだけだった頃で、それと同価格だったそうです。日本光学が一般向け?(というにはあまりに高いけれど)にこの口径を販売していたとは知りませんでした。戦前だと口径2.5ー5cmがいいところだったはずで誠文堂新光社「子供の科学」物販で10円以下で購入できたそうです。
それほどこの天体望遠鏡は貴重品だったわけです。野尻抱影が世田谷の自宅で近所の子供達にこの望遠鏡を覗かせていた写真があります。
外はバラ園で、ちょうど満開でした。
近くに横浜地方気象台があるので見学してきました。(下の写真は桜の頃)
無料一般公開されています。
関東大震災の写真が展示されていました。現在気象台HPで見ることができます。
まだ戦時中の天気図です。戦時中は国家機密とされていました。横浜大空襲のあった日です。
(2025年5月13日)