naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

デジタルカメラの行方2008.8

暑いですね。そしてこの夏は上空に寒気が入り込み、すぐに上昇気流、雷雨というパターンが繰り返されます。ここ二回ほど山へ行って星を撮影したかったのですがいずれも曇りと雷で目的が達成されません。
ということで、ちょっと違う話題を。

この表題で、何度かカメラ談義を語ってきたが、最近ではこのブログの中で書いた
http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/2007/09/nxc_e33f.html
が筆者としては注目している。

ここへきて、オリンパスパナソニック連合から「マイクロフォーサーズシステム」の発表があった。(このブログの性格上リンクはしてませんから自分で検索してください;)
これは3/4型撮像素子(35mmサイズの1/4程度)を使う現行の「フォーサーズシステム」から、ファインダー光学系ミラーを無くし、レンズのフランジバックを半減させたものである。つまり、「レンズ交換式」カメラであって。「一眼レフカメラ」では無くなっている。
これは「レンジファインダーカメラ」のような小型カメラを想像させる規格である。

筆者はこのころからこんなことを書いている。
http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/2004/02/1.html

光学ファインダーが無くなるのは困る、という反対意見も多いが、筆者は、通常は光学レンジファインダー、高倍率や接写では「EVF(電子ビューファインダー)」の両立を図ってくれたら、「一眼レフ」はいよいよ無くなる時期だと思う。
いまさらミラーがカメラの中でぱたぱた動くなんて言うのは、やめてほしい、とすら思っている。というのも60コマ/秒の超高速連写が実現したからである。
この数字だけ取り上げて、暗いところでは使えない、とか、こんなに多くても意味が無いとか言う意見も見られるが、この数字には意味が無い、というか、発表のインパクトを与えるためのものであって、20コマ/秒でも30コマ/秒でも可能になるということで、撮影者が自在に使いこなせばいい話である。

同時にこうなれば、動画もいけるわけである。これは家電メーカーのビデオカメラと、光学メーカーのスチルカメラのボーダレス化であり、否が応でも、この流れに乗り遅れた組から脱落を意味する。従って、AF一眼レフカメラで脱落した経験を持つオリンパスの必死さが伝わるのである。
すでに三洋電機ザクシィでハイビジョン撮影をしている筆者にとっては、現在のデジカメがハイビジョン、もしくはそれ以上の画質を持つ動画に対応するのは必然だと考えている。


さて、ここで一転して、撮像素子の高分解能化についてである。
もう10年近く前になるが、デジカメ黎明期、200万画素から300万画素に移行するときに、ネット界では大論争が起きた。画素の大きさが小さくなるので、ノイズが多くなってざらざらな画像になる、とか、光学系の絞りによる回折現象から、ぼけぼけになる、などが争点だった。
実際にそういう商品も出たので一概には言えないが、筆者は、日本の技術には信用が無いんだなあ、と思ったことを思い出す。このような問題点はなにも光学技術の”素人”に指摘されなくても承知の上であって、これは避けて通れないブレイクスルーが要求される過渡期だった。
現在の1000万画素越えのことを思えば、嘘のようであるが、実際には多くの新技術があって成立しているのである。

その論争が、一部の一眼レフカメラで再燃している。
その発端がニコンの「FXフォーマット」であろう。
これまでキヤノンの「フルサイズ」撮像素子が高画質であると評判であった。(その他に従来のカメラと同じ画角であることも大きな要因だが、なぜか高画質のほうに評価があった)

一方のニコンや他社(コダック、京セラはフルサイズで失敗)はフルサイズではなく「APS-CニコンDX)」フォーマットで十分というスタンスできたが、昨年ニコンからも”フルサイズ”がD3というプロ用カメラで出てきた。
このD3はニコンの威信にかけた「高感度高画質」であったうえに、ニコンから続けてD700という、同じフォーマットの中級機種も出てきた。

このニコン二台は、1200万画素で、無理に画素数を増やさなかったことで、高感度と高速連写を達成した、と言われている。
現時点の技術では最良の選択だったと筆者も思う。しかし、世間の論調で気に入らないのが、
「だからこれ以上の高画素はいらない」とする説だ。

キヤノンのEOS-1Ds mark3が2110万画素。連写も5コマで、価格が828600円。これを見て、こんなのいらないということだろうか。しかしキヤノンだっていつまでもこんなカメラでいいとは思っていないだろう。

高画素不要論は、パソコンでのハンドリング悪化、レンズ性能の足かせ、ノイズの増加を主な理由にあげている。
パソコンでのハンドリングは、ハイビジョン動画を使ってみた筆者にとっては、愚の骨頂である。パソコンやメモリ技術の進歩を甘く見ている。15年前、「フルカラー」画像をマッキントッシュで扱いだした頃のDOSユーザーのようだ。
レンズ性能については、解像度のみをレンズ性能と考えている人が多いようだ。なぜレンズ解像度と画素の大きさを同等に考えるのか。フィルムのときに、中判カメラで、そんなの意味が無いと唱えたら、素人扱いされたが、今のデジカメ業界では”評論家”でもわからないことを言う輩がいる。
ノイズについては、今のコンパクトデジカメを見てものを言えと言いたいが、たしかにノイズが増える。しかし、ノイズリダクション技術の進歩はすさまじい。それ以上に高画素化によって、パソコンで等倍で見る鑑賞方法に意味が無いことをどうして理解できないのか。

とひとしきりぼやいたところで、他のホームページでは見ない論を展開したい。

昔、ここ(http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/2004/01/32002.html)で書いたように、今の単板撮像素子では、「ベイヤー配列」のカラーフィルタをかけており、実際の画素数はグリーンで1/2、赤、青で1/4の画素しか無い。
しかも、モアレ除去のために、「ローパスフィルタ」をかけている。これははっきり言えば「ぼけぼけフィルタ」だ。いったんぼかしたあとで、画像処理でシャープネスをあげる。これはサンプリング定理を始め、いくつもの数学的根拠に基づくものだから、これを責めて欲しくはない。しかし、レンズ性能は生かされていないのだ。極論すればぼけぼけレンズでも画像処理で「復元」できるのだ。

天体写真の分野では、一般写真の先を進んでいる。
カラー映像は、三色分解、L*a*b合成、ボケ対策では最小自乗法画像復元などであり、いずれも実際にソフトウエアでアマチュアでも扱えるようになっている。
例えば、星の写真を撮るとき、微光星は1画素の中に入ってしまうので、カラー画像は三色分解でないと作れない。ベイヤー配列の撮像素子は「ごまかし」があることが実感できる。
また、画像復元が、モアレだけでなく、ノイズをある周波数で選択除去した後、解像力を復元する能力があることは体験済みである。
そして、増感技術としては、ゲインアップだけでなく、「ビニング」という画素の統合処理によって、例えば4つの画素を一つにまとめてS/Nを向上させることも行われる。

これらの技術はすでに10年以上経って確立されており、デジカメに利用してほしい技術である。

このようなお膳立てがあった上で、あらためて「高画素化」を考えてみよう。

現在の1200万画素は、全画素数であって、各色では300-400万画素でしかない。一般撮影ではこれで十分であるが、風景、集合写真、天体写真では大いに不足している。”真の”1000万画素が欲しいところだ。
また、ローパスフィルタも、服の生地など細かな模様にモアレが出ないためであって、本来は、他の対象物にとって、あってはならないものだ。サンプリング周波数を二倍にとってやれば完全復元できるのだから、”ピクセル等倍”鑑賞などばかげたことは無視して、今の4倍の画素数があれば良いのだ。
ノイズについては、一部のデジカメでもやっているが、ビニングによって向上させることができる。そのときに200万画素とかにならないようにするにはやはり画素数が多い方が良い。

そうなるともっともっと高画素が必要なことがわかるだろう。
筆者の感覚では、「実質1000万画素」の素材のためには、4000-5000万画素が必要だと思っている。フィルムの場合、35mmで2000万画素とも言われていたが、これは解像度の問題だけではない。このブログでも以前書いたように、ブローニー、大判フィルムの世界は、35mmなんておもちゃ扱いであったが、これも解像度だけではなく、「階調の豊かさ」である。だから、5000万画素の素子を使ったから、”なんちゃって”5000万ピクセルのカラー画像を出すのではなく、1000万ピクセルの画像を出せば、今ある1000万画素よりもより高品位な画像になる。数字の争いはもう貧乏臭い。ニコンのカタログに「圧倒的高画質」を謳っているが、もともとニコンD1が1000万画素のCCDを250万画素として販売したように、画素の数字ではなく画質にもっと振り向けてほしい。

本当のフィルムカメラに置き換わるデジタルカメラは、売らんかな主義の素人だましではなく、真の高画質の良さを訴えて登場してほしい。そしてユーザーもそれに気がついてほしい。