naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

横浜市都筑区 遺跡と歴史博物館

以前、横浜の三殿台遺跡を紹介しました。高度成長期以降、横浜はニュータウン開発など大規模開発が行われる一方、多くの古代遺跡が発掘されています。しかし保存公開されている遺跡はあまりありません。

その中で、横浜市都筑区にある大塚・歳勝土遺跡(おおつか・さいかちどいせき)は弥生時代の大規模な環濠集落とその墓所の遺跡として保存されています。

横浜市歴史博物館が隣に建てられ歴史体験施設「大塚・歳勝土遺跡公園」として公開されています。

車は歴史博物館の駐車場に停めます。ここは横浜市営地下鉄センター北駅横なので地下鉄でくる方が良いでしょう。

博物館から公園までペデストリアンデッキで直結しています。下には「歴博通り」が通っています。左の小山が遺跡公園です。

遺跡と古民家が公開されています。

里山の自然も楽しめます。

3月末撮影

大塚遺跡が縄文・弥生・古墳時代の環濠集落跡です。

大塚遺跡の西半分は開発により無くなり、そこに地下鉄や博物館、「歴博通り」があります。港北ニュータウン開発のため、東半分を保存するのが精一杯だったのでしょうか。

そんなわけでこの下に道路が走り、すぐ向こうにはビル群が見えます。

復元住居が縄文、弥生、古墳の各時代の様式で建てられ、中も見学できます。この辺りは三殿台遺跡と同じです。

住居跡は発掘後埋め戻され、復元住居を建てたり、石を並べて位置がわかるようにしています。

一部、発掘状態をガラス樹脂セメントで再現しています。遺跡は地中に埋め戻されています。露天に再現模型を展示しているところが三殿台遺跡と違うところです。

また一部の環濠も再現されています。

隣の環濠の外に、歳勝土遺跡があります。これは墓地の跡です。

ここも一部復元されています。

公園の中には江戸時代の古民家が移築復元されて都築民家園としています。

公園から博物館に戻ります。この橋を渡ると博物館の三階入り口に行くことができます。

博物館の中は横浜の歴史を紹介する展示があります。社会科の課外授業に適した展示になっています。

展示品はほぼ全て複製品です。写真撮影も一部を除きOKです。

縄文時代

弥生時代。大塚遺跡のジオラマがあります。残っているのはこの30%です。

横浜市弥生時代中期後半の遺跡を点灯しています。説明文には、縄文晩期から弥生前期にかけて横浜はほぼ無人だったそうです。それが約2000年前に急激に増えたということです。谷戸の低地に集中しており稲作を行ったということです。

8世紀律令制のもとで武蔵国都筑郡郡衙(ぐんが。古代の役所)がありました。

鎌倉時代の六浦(むつら)のジオラマ金沢八景が内海が入り込んだ地形で、金沢文庫称名寺が海岸近くにあったことがわかります。

江戸末期、横浜中心部が埋め立てられて形成されていきました。

高度経済成長期の変化は筆者も目の当たりにしてきました。

図書室もあり、立派な博物館です。運営は横浜市ふるさと歴史財団で、三殿台遺跡も含まれています。