naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

旧・東海道散歩 神奈川駅ー神奈川台場跡経由ー新子安駅

2023年末、京急神奈川駅から旧東海道を東へ進みました。

今回のルートは以下の通りです。

途中神奈川台場跡にも立ち寄りました。

京急神奈川駅から出発です。

ここからの旧東海道の出だしは以前歩いたルートです。

naka-ma.hatenablog.com

途中の洲崎神社源頼朝が現千葉県館山市にある安房神社より分霊を勧請したとされます。

旧東海道が海岸線沿いにあった名残です。

本殿は、神話時代に創建されたという安房神社をモデルにしたのでしょうか。

 

ここから海の方へ向かい、神奈川台場跡を見に行きました。神奈川台場は江戸時代末期に建造され明治時代に廃止された砲台を置いた台場です。

護岸だった石垣が残っています。

ここは現在大規模な工事が進んでいます。

東京湾側は埋め立てが進み、マンションが立ち並んでいます。その一角に公園があり石垣が残っています。

台場の跡地にはJR貨物高島線の東高島駅が作られました。奥に石油タンク車が見えます。

運河にかかっている鉄橋は高島線のものです。

小規模ですが側線がある貨物駅です。この先に以前紹介した高島水際線公園があります。

旧東海道にもどります。本陣跡は看板だけです。

ここから京急線側に行くとお寺が並んでいます。成仏寺。

外国宣教師の宿舎になったそうです。

横浜市神奈川地区センター前に移設復元された高札場。

旧東海道の雰囲気を復元しています。

京急東神奈川駅に向かって築堤による高架になっています。

神奈川熊野神社

立派な神社です。明治時代の神仏分離令までは後述の金蔵院と一体でした。

金蔵院

京急東神奈川駅は旧名称、仲木戸駅。この駅は1910年(明治43年)に高架化されています。それはこの下を横浜鉄道(現・JR横浜線)の貨物線がくぐるためでした。斜めにくぐるこの道路がその廃線跡です、

神奈川小学校校庭下にある観光案内板。

能満寺。ホームページには以下のような由来が書かれています。

正安元年(1299年)の鎌倉時代に、内海新四郎光善という網元漁師が、海中より霊像をすくい上げ、彼の娘に託されたという仏のことばにしたがって、このお寺を建立しました。

この手の、海中から仏像や地蔵が見つかるという由来は結構多いですね。

良泉寺。江戸末期、外国の領事館にすると幕府に言われた際に住職が屋根を剥がして改修中と言って断ったそうです。

ここから浜通りへずれて昔の海岸線沿いに歩きます。

ここは浦島太郎伝説のあるところです。

漁船、屋台船、ボートが係留されています。

浜通り旧東海道である第一京浜国道15号から下り坂で降りていきます。砂浜の通りだったのでしょう。

浜通りを子安方向に歩きました。荒木橋、新浦島橋、常盤橋、富士見橋と続きます。

海岸線の向かいには並行して埋立地が広がっています。マツダJVCケンウッドなどのビルが昔からあります。貨物線の高島線が通っています。

首都高速羽田線の子安出口で浜通りは終わり。

京急新子安駅に出ました。ちなみにJR(旧・省線新子安駅より古い。

下町の家の際を走る京浜急行は明治の雰囲気を残しています。

 

2023年最後の記事は旧東海道散歩でした。

2024年こそは穏やかな年になって欲しいです。良いお年を。