2024年1月、日中、暖冬のため暖かくなりました。
旧東海道散歩は年末の新子安駅からスタートし、六郷土手を目指しました。
新子安駅はJRと京浜急行の両方にあります。京浜電気鉄道(京急)が川崎から神奈川延伸した1905年(明治38年)、子安駅が開業その後1910年(明治43年)新子安駅が開業しました。1943年(昭和18年)国鉄新子安駅が開業しました。
その割には両駅は若干離れています。京急新子安の隣、JRと京急に挟まれた形で本慶寺があります。本慶寺は明治に火災、この地で再建されましたが大正の関東大震災、昭和の大空襲に見舞われた経緯があるそうです。
遍照院は京浜急行が門前を走るお寺です。江戸時代にここに移り、東海道が通り、京急が通りましたが、空襲で焼失したそうです。
1956年に建物は再建されたそうです。門前を京急が通過する、珍しい光景です。
京急開業当初は路面電車然としていたのでしょうが、今の長大編成が高速で通過するのは凄みを感じます。
東子安一里塚跡は工場の壁に案内板がありました。「東海道分間延絵図」で見ると砂浜がすぐそばにあったことがわかります。
埋立地を通ってきた高島貨物線が国道15号線を越えて東海道線に合流します。
ここは生麦、「生麦事件」があった場所です。文久2年8月21日(1862年9月14日)発生。石碑が残されています。
首都高速横浜北線は2017年に完成しました。その向こうにはキリンビール横浜工場が広がっています。子安の工場は1926年、横浜山手にあった本社工場が関東大震災で崩壊した後、新たに建設されました。
江戸時代は東海道は砂浜沿いの道でした。
生麦神明社。江戸時代末期前に創建ということです。安政6年(1860年)製の壊れた手水鉢が右下にあります。社殿も鳥居も新しいものです。
廃仏毀釈の時に集められた庚申塚だそうです。地震や戦災も関係したでしょうか。
中央の大きな庚申塚は延宝5年(1677)年造。
ここの広場の隅には細かい海砂が溜まっています。明治初期まで旧東海道の横は東京湾の砂浜でした。その名残です。
有名な「生麦事件」現場に新しい案内板が立っていました。先の石碑は亡くなったイギリス人チャールス・リチャードソンが切り付けられたあと逃げて落馬した場所だそうです。
道念稲荷神社。先の生麦神明社と共に「蛇も蚊も祭り」という疫病を起こす悪霊を藁で作った大蛇に封じ込める祭りが行われるそうです。
生麦水神宮。江戸時代の漁師が信仰した神社です。
正泉寺。上述の水神社が境内にあったそうです。
鶴見川の河口に寄り道。
人工の干潟があります。貝殻を集めた干潟です。
小さな干潟ですが鳥が結構いました。
国道駅から鶴見川に出ると鉄橋があります。かつて美しいコンクリートアーチ橋梁でした。
1984年11月の同じ地点の写真がありましたので貼っておきます。アーチ橋は取り壊されて仮設橋に変わっていました。101系の黄色い電車です。
長くなったので次に続きます。