naka-maの心言・2

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(旧・)東海道散歩 辻堂〜茅ヶ崎 2024年3月

現代の東海道国道1号線の通称ですが、日本橋から横浜までは国道15号線保土ヶ谷、平戸まで旧東海道は国道ではありません。このブログの表題で、「旧・東海道」と書いているのは国道1号線ではないからです。一方、戸塚(品濃坂、平戸)からは国道1号線旧東海道なので、表題には「(旧・)東海道」としています。

ところで前回の藤澤から辻堂までは大半が国道1号から外れているので「旧・東海道」に戻りましたが、今回の辻堂から茅ヶ崎、この先小田原までは国道1号線そのものです。

(明治建設当初は国道15号が「國道1號」、国道1号が「國道2號」でしたがややこしいので省略)

国道沿いですと開発が進んで店舗、工場が多く、車の交通量も多いので散歩には気が進まないのですが、一方、茅ヶ崎には江戸時代の名残である松並木が残っているのでそれを楽しみにして進みました。

 

前回の終点だった辻堂駅から開始です。

ここにある「テラスモール湘南」前回は入らなかったのですが、中は広くて天井が高いショッピングモールが広がっていて平日の昼でも多くの人(近くのマダムがほとんどですが)が来ていました。

辻堂駅から北上して国道1号線に出ました。遠くに松が見えます。

茅ヶ崎市に入ると松並木が多くなりました。

特にこの区間の松並木は見事です。

ここにあるスバル、ジープのディーラーには感謝したいです。ビッ◯モー●ーとは違って。

この松並木は江戸時代からあったのでしょうか。後述の茅ヶ崎高校前の説明板に回答が書かれていました。

茅ヶ崎市内の国道一号線沿いの黒松は幹回り(地上より1.2メートルの高さで測定)2.2メートル・(推定樹齢四百年)の大きな松が育っております。
遠い昔より、地域の人達に親しまれ江戸時代の松並木は旅人にやすらぎをあたえ、この風景はその時代の画家、安藤広重東海道五十三次にも描かれております。
長い間風雪に耐え今日では茅ヶ崎の貴重な文化財です。みんなで大切にしましょう。

排気ガスにあって、根の周りはコンクリートで固めてしまっていますが、長く持っているものです。戸塚の松並木も見事でしたが近年は立ち枯れて、さらに工事で伐採されてしまいましたから。

マンホールには烏帽子岩が。

この付近の東海道は前回も書いたように砂州の縁を通っています。縄文海進時には寒川神社くらいまで海岸線が上がっていたと言われており、その後寒冷化で海岸線が南下するのと合わせ、相模川からの土砂が堆積していったもので、地質的にも大きな砂州です。一方で土器や貝塚が出土しており古くから集落があったようです。

しかし江戸時代になっても砂塵の多く舞う場所だった記述があり、だから防砂のため松並木は大事だったのかもしれません。

 

東海道に面して建つ上正寺。浄土真宗鎌倉時代に創建されたそうです。

小和田交差点に面した廣徳寺。高野山真言宗。元和5年(1619)に創建されたそうです。本尊は千手観音。

千手院。高野山真言宗。1600年ごろ開山とのことです。こちらも本尊は千手観音。向かいの廣徳寺と関係があるのでしょうか。

古い住居や蔵がわずかに残っています。

松林(しょうりん)中学校入口交差点。ここから北上すると松林通りに出ます。1889年(明治22年)室田村、高田村、赤羽根村、甘沼村、香川村、小和田村および菱沼村が合併し松林村としてできた地名だそうです。色々あったようで9年後に茅ヶ崎町になって消えた地名ですが、1980年(昭和55年)に町名として復活したらしいです。

TOTO 茅ヶ崎工場。松並木も保全されています。

神奈川県立茅ヶ崎高校の東海道側にも松並木が保全されています。ここに先述の松並木に関する説明があります。

海前寺は曹洞宗、1591(天正19)年の創建とのこと。国道よりやや奥にあり、静かな雰囲気です。海前禅師という名称なのは元々海が目前にあったとか、移転してきたのかわかりませんが各地に同じ名称のお寺があるようです。

本村(ほんそん)のタブノキ。市街地では珍しく自然に大きく育った、ということで市の景観重要樹木に指定されています。

本村を「ほんそん」と読む方に興味がいってしまいます。茅ヶ崎は、今回付け焼き刃で調べてみると神奈川県の中でも歴史の長い地域ということを知りました。

律令制の敷かれた7世紀飛鳥時代後期に相模国高座郡郡衙(ぐんが)=郡の官人(郡司)が政務を執った役所の跡が寒川の茅ヶ崎北陵高校敷地内で発見され下寺尾官衙遺跡群(しもてらおかんがいせきぐん)として2015年(平成27年)国の史跡に指定されました。

国分寺は海老名にありましたが、国府がどこにあったのかはまだ不明で、平塚あたりとの説もあります。また国府津国府の港の意味なのでこの一帯が奈良時代の政治中心だったことは間違いなさそうです。

筆者は、茅ヶ崎はその南なので、古くは砂州の寒村と思っていましたがここにも奈良時代の遺跡が残っていました。

本村居村遺跡は東海道に近く、木簡が出土したところです。

本村は奈良時代から村があったと思われ、まさに「本村」だったようです。

「ほんそん」とか「しょうりん」とかの読みは高座(こうざ、昔はたかくら)郡の渡来人の影響もあったのでしょうか。

本村八王子神社。創立年不明。鎌倉時代には多くの武士が訪れたそうです。

相模線が国道1号線を潜っています。JR相模線は元々相模鉄道として1921年(大正10年)開業。

上の橋が国道1号線です。ちょっと頼りなく見えます。この地形は東海道だけが盛土の上を通っているように見えますがどうなんでしょう。

松並木はイオンスタイル湘南の前でも続きます。

道路拡張により失われた一里塚の写真と歩道に造られた現代の一里塚。

茅ヶ崎一里塚は南側のみ現存しています。

東海道を200年以上見守ったクロマツ」2009年(平成21年)腐朽のため伐採されたクロマツの切り株がモニュメントになっていました。プレートが劣化して残念。

茅ヶ崎駅

茅ヶ崎市出身の有名人の手形がありました。これは宇宙飛行士野口聡一さんの手形。

他に加山雄三さん、土井隆雄さん、12代目市川團十郎さん、山本昌広さんの手形があるそうです。

2024.3.4

旧東海道歩きも地元からだいぶ離れてきました。土地勘がないのでその土地の人からすれば物足りないでしょうが神奈川県民として色々まだ発見があり楽しいです。