naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

平和ボケはどちら-2001.9.11

平和ボケはどちら

このところ一日に5~10名の方にご覧いただいていたようで、ありがとう。でも、ここのところ日記に近い、自分の行動報告のような記述が続き、皆さんに読んでいただくには意味がないような気がしたので少し反省して控えていた。デジカメでもいろいろ撮れるようになると、つい見せたくなってしまうのであるが、これも安易にならないようにしたい。

このような僕にとって楽しい個人的な場であるから、どうしようか迷ったのだが一度だけこの話題に触れておきたい。

犯行声明のないテロ行為は、もっとも卑劣で許し難い。ハイジャック機の突入からビルの崩壊まで生中継され、米国の威信の象徴であるペンタゴンが炎上、ホワイトハウスも危なかったと報道される。中でもハイジャック後墜落した旅客機は危険を察知した米軍機に撃墜されたらしい。ハイジャック犯に抵抗した民間人の勇気に敬意を表し、突入する飛行機に乗っていた方や脱出ならず行方不明となった方の無念を思う。

米国はこれを戦争だと宣言し、傷ついた威信回復のために長期戦も辞さない構えである。迅速な世論形成と外交は、今度ばかりは”真珠湾”以上の屈辱を晴らさんとする政府の強い意志と実行力を見せつける。

これに対し日本は先ほど後方支援の最大限の協力を宣言した。湾岸戦争で多額の支援金を払いながら全く感謝もされなかったことを考えると当然の措置との見方が多勢だ。

しかし僕は、この一週間のマスコミの対応に恐怖を感じている。まるで白痴のように突入、崩壊の瞬間を繰り返しぼーっと見せる。その後は事態の推移をなぞるだけ。犯人探しをしてみせる。朝日が社説で平和解決を投げかけるとそれに文春が「平和ボケ」と嘲笑する。たまたま今は読売なのだが、「悲惨な米国」「勇敢な米国」を繰り返し見せる。この際、自衛隊法の改正、いや憲法改正まで言い出しても咎められない。

テロリストがイスラム原理主義だとすれば、これは間違えなく「宗教戦争」だ。僕の浅はかな知識でも、米国=キリスト教ニアリイコールユダヤ教イスラエルxアラブ=イスラム教の図式はイスラエル建国以来変わっていない。宗教戦争ほどやっかいなものはない。戦争回避のための外交が通用せず、宗教の教義の違いが平行線を辿るだけだ。そしてその戦争は戦闘員だけでなく民間人を巻き込むことに抵抗がない。敵国の民間人も敵対宗教信者なのだから宗教上の大義名分がある。その現実を「湾岸戦争」よりはるか以前に体験したのは我々の祖先ではなかったか。「太平洋戦争」によって。当時の日本も「現人神」のもと一丸となった「狂信者」に見えたに違いない。現在の所、米国政府は「テロ組織壊滅」が目的であるが、相手はそう見ていない。テロ当日、パレスチナでお祭り騒ぎの民衆を見ただろうか。

さらに、どうせ放って置いても、どのみち日本が最も危険になる。地理的に見て、日本の米軍基地から艦隊が出撃してゆくのは分かりきったことだろう。後方支援も日本からだ。となれば世界に潜伏したテロリストの標的はどこになるか。

しかもこの国は最近も毒ガスという最も惨いテロにあっているくせに、それすら自力で解決できていない。その犯行集団の解体すら出来なかった。さらにはかつて世界最悪のテロ集団は日本にあった。学生運動は変質して、ハイジャックや銃乱射をする凶悪集団に成り下がった。それすらごく最近になって主犯が捕まったりしたのだ。今回の実行犯が日本人ではなくて本当に良かった。その程度の公安能力しかない国がテロを防止することがどこまでできるのか。今からでも公安機関の増強を願いたい。

米国は本気だ。日本は本気なのか?浮かれマスコミの皆さん。

僕は怖い。平和ボケでも良い。ここは顔を表に出さず、分相応におとなしくしている方が身のためだと考える。みんな自分が標的になるということを分かっているのだろうか。

皆さんはどうお考えだろうか。

2001年9月19日