naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

学力低下

このところ立て続けに、日本の子供たちの「学力低下」が新聞、ニュースでとりあげられている。これは、世界の中学2年生と小学4年生を対象にした「国際数学・理科教育動向調査」(IEA国際教育到達度評価協会)の結果によると、平均点が統計的有意差を持って低下傾向がみられたことと、OECD経済協力開発機構の国際調査結果では、高校一年生の読解力低下と数学応用力低下が大きく現れたことが、大きく報道されたことによる。さらに文部科学省大臣が日本の子供たちの学力低下を公に認めたことでさらにその論調が助長された。

筆者は、現在の仕事で、学校教育、とくに理科の教育現状を知る必要が生じた為、各方面からの情報収集をしていたところで、ちょうど、文部科学省ホームページの「学習指導要領」や「学校教育法施行規則」に目を通そうとしていた。
さらに、上の子供が小学四年生で、実際の学校の様子が気にかかっていたところであった。

マスコミの論調は、「ゆとり教育」の失敗であり、文科相が認めたのだから即、「授業時間増加、指導要領見直し」、といった方向のようだ。ちなみに「学習指導要領」には授業時間の規定は無く、「学校教育法施行規則」に標準授業時間として規定されている。

筆者も大きな異論はないが、もし自分が小学生だったらいやだったろうな、というのが最初の感想だ。というのも我々の世代は学力診断テスト(筆者のいる横浜市独自のものと全国規模のものがあったと思うが)というものがあって、そのたびに平均点が昨年の方が良かったとか、今年の生徒は劣っているとか、聞こえてきた覚えがある。

つぎに、実際に「学習指導要領」を見て見ると意外に共感できる。
たとえば、一時問題になった、小学校の算数で、円周率を3として良い、というものだが、「円周率としては3.14を用いるが,目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮するものとする。」というのが本当の記述だ。
これは電卓無しでも概略暗算計算が出来るような配慮であり、実際のエンジニアでも必要なスキルだ。設計者の勘、というものは、概略の近似計算が的確にできて、数種類の構造候補の中から大筋をピックアップできる技能だ。そのなかで良さそうなものを詳細計算することで確認作業を行うが、このスキルが無いものは、すべてを計算しないと結論が出ないから、時間もかかる上、間違っても気がつかないことも多い。

また、これはやはり夏ごろ話題になったことで、「小学四年生の多くは、天動説を信じていた」ということだが、確かに「学習指導要領」では、小学生の時期には、昔あった太陽系の授業が無く、「地動説」が出てくるのは中学校からだ。つまり先送りされたのであって、無くなったわけではない。このことは現場の教諭に聞いて認識を新たにした。

一方で、「道徳の重視」「国歌、国旗の指導」が盛り込まれており、違和感を感じる。というのも、「学習指導要領」というのは、思いの外薄っぺらで、読めばすぐ終わってしまう。実際にご覧になって欲しい。小学校では四章構成である。

第1章  総      則

第2章  各  教  科

   第1節  国    語
   第2節  社    会
   第3節  算    数
   第4節  理    科
   第5節  生    活
   第6節  音    楽
   第7節  図画工作
   第8節  家    庭
   第9節  体    育

第3章  道      徳

第4章  特別活動

これしかない。教科とは別に「道徳」があること、「特別活動」の最後に国家国旗の記述があること、それに比べ、例えば理科においては、その内容が非常にアバウトであること、良く言えば現場に一任されていて、裁量を与えられているのだが、それが教育の質にばらつきが出る要因にもなる。

ともかく、「学習指導要領」は目の敵にするほど大したものではない。

逆に言えば、「学力低下」が「学習指導要領」の改定で良くなるような簡単なことではないということだ。

例えば先に上げた「天動説、地動説」だが、筆者は、おそらく幼稚園くらいの時、「鉄腕アトム」を読んで、おおまかな宇宙観を得たような気がする。小学四年生の国語の授業で、星座のギリシャ神話が出てきて、その後、プラネタリウム通いをして、天文に興味を持った。小学六年生の時に、はじめて理科の授業に太陽系の話が出てきて、嬉しかったこと、当時の先生に、月の自転周期と公転周期が一致しているから月はいつも同じ面を地球に向けていることを説明した(先生は月は自転していないと言ったので反論して)ことを思い出した。

子供には月の観察の宿題を機会に、自転と公転の話をしてやった。このように学校の授業でやったかやらないかと言うのは些細なことであって、問題はそういう「常識」を教わる機会があったかどうかである。それは親とアウトドアで遊ぶ時でも良いし、漫画やテレビでも良い。そのためには子供自身が興味を持たなくては話にならない。

もうひとつは読解力の低下。これは文章問題の意味を読み解くことに大きな障害になるので、一番根本的な問題だ。人の話を理解できない子供が多くなっていることは、恐ろしいものを感じる


ことさら偉そうなことを言える立場でもないのだが、子供の親として、いまの風潮の心配な点は、子供も親も独立心が強く、干渉されるのを極度に嫌っているところだ。だから親は子供の教育は学校でやってくれるものと思い、子供は、親も先生も頼りになるものではないと諦めている。

しかし、一緒に絵を描いたり、お話をしたり、テレビを見たり、粘土遊びをしたり、工作したり、年賀状の版画作りをしたり、そうするだけでも良い。それは「学力向上」ではないかもしれないが、いろいろなことに興味を持ってくれれば、あとは子供が自分で調べたりできるように仕向ければ良い。親が教えられることはその程度だ。

そして学校の先生も、子供のそういう好奇心には応えてやって欲しい。昔を思い出せば、ときどき羽目を外して一緒に遊んだことが実は大きな教育だった、と思う。「学習指導要領」程度に縛られず、自由にやって欲しい。実際、ここに書かれている先生向け、親向けのパンフレットにも、「ゆとり」は「自ら学び自ら考える力などの「生きる力」の育成」にあてるよう書かれている。

だから、昨今のマスコミの論調には反対ではないが、違和感はある。
しかし、「ゆとり」時間がすべて「テレビゲーム」になっているような現状は由々しき問題、日本の行く末を左右する問題だと認識してもらいたい。



メーカーの立場からは、理科学教材がもっと売れて欲しい。
商売熱心の為ではない。それが日本を救う、と信じている。