naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

境木のトンネル

以前にも書いたが、筆者の実家は横浜市戸塚区である。しかし、保土ヶ谷区と南区の境にあって、1980年に東戸塚駅が開業するまでは、最寄り駅は保土ヶ谷であった。

境木小学校も当時は保土ヶ谷区管轄で、小学校の頃の社会科では「わたしたちの保土ヶ谷」だったと思う。ちなみにこの学校は戸塚区にあって(といっても旧東海道の道一つ隔てただけだ)、現在では保土ヶ谷区側にも新たな権太坂小学校ができて、もとのほうは戸塚区管轄に変わっている。

さて、筆者が小学生の頃は、遊ぶところがいっぱいあった。空き地での野球が面白かったが、特別に面白かったのは、境木地蔵の奥へ入って行く道であった。小学校3年生の時に近所の6年生の子に連れて行ってもらい、クワガタ虫を捕ったのがきっかけで、それからは友達同士でも奥に入って行った。

当時、ここはまったくの雑木林で、送電線のあるところだけショベルでえぐってあり、「秘密基地」にしたり、布団と得体の知れない写真本;があったり、もちろん、虫も多いが、蛇や蜂の多いところであった。

この中を小道がずっと通っており、途中、うっそうとした雑木林を行くと横浜新道の「変なお城」(ホテルニュー京浜だったか?)へ出る。
小学6年のとき、スケッチの授業でこの小道を行き、途中、畑へ曲がってゆくと東海道線の見える土手の上に出た。ここは境木町で、法泉町の側にある。下を貨物線のトンネルが走っており、東海道線は横浜で言う「谷戸(やと)」の谷間を走る。
正面はおなじ境木町の南側で、ここは雑木林と造成途中の空き地であった。その横浜側には新たに造成された権太坂(町名だが町は付かない)の住宅地があった。
*現在は町名変更により、法泉町側が境木町、その南側が境木本町(地蔵がある側)、権太坂は縮小され、一部境木本町に編入された。

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写真は1984年10月21日。このころはすでに境木本町の開発も進んでいた。

これ以降何度も友達とここの土手の法面で遊んだ。排水路と思われるU字管がはりめぐらされ、その上をツタが覆ってトンネルになっている中を滑るおりてゆくのが楽しかった。小学6年の男なんてそんなことが楽しいのだ。
それを下りきると、電車が見える。線路はカーブして、れんが造りのトンネルに入る。写真は後年カメラを持って訪れた時のものだが、今でも同じような光景である。ここは多分今では立ち入ることができないと思う。

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1984年4月1日の写真である。

さて、これがどこのことか分かるように説明すると、横浜から東海道線で戸塚へ向かうと、途中に短いトンネルがある。この手前のことである。
このトンネルを「清水谷戸トンネル」という。東京から向かって初めてのトンネルということと、急に人家のないところに出るため、ここまでくると東京から離れたと思う人が多かっただろう。

トンネルを抜けると戸塚区品濃町になる。ここは小さな踏切がある程度で(いまは地下道)、藁葺き屋根の農家が数件ある程度、その先には、横浜新道への抜け道が国道一号線の平戸へ続くのだが、東海道線と貨物線を狭い踏切で抜けるので事故が多かった。

この清水谷戸トンネルの出口や、現東戸塚駅近くのカーブは、首都圏での鉄道写真のメッカで、多くのカメラマンが訪れるようになったが、昔は地元の子供が遊ぶ程度のところであったのだ。

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清水谷戸トンネルは鉄道に詳しい人なら知っていることだが、1887年完成の日本17番目のトンネルで、現役のトンネルとしては日本最古である。最古のトンネルは上り線で、下り線は1898年というからそれでも古い。
記念説明板が新しく作られていたのだが、心無い者によって破壊され、立てかけられている状態だ。
現在の様子とその記念板である。

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左側が最古のトンネル。側壁が直線になっている。右側は馬蹄形になっている。

現在のこの地は、大きく変貌した。特に東戸塚駅開業により、東海道線から横須賀線が分離し、貨物線に移った。貨物線は東戸塚から新たに掘られた長大トンネルに入り、羽沢へ達する。そして、さらに大きく変わったのは1998年の横浜環状二号線の開通だった。清水谷戸トンネルの上をこの道路が通ることにより、多くの雑木林が無くなり、開発されて、マンションが多く建った。
しかし、品濃町側の雑木林は保存されている。
ここからは地元民も知らないことであるが。

その雑木林。金網で囲われているが昔はそうではなかった。
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JR東日本の所有地である。
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実は、小学6年の時に発見(!?)したのだが、ここには「国鉄 鉄道防雪林」の指標があった。さらに高校ぐらいであったか、説明板ができていて「防雪林を試験的に植えた云々・・(うろおぼえで申し訳ない)」とあった。
「防雪林」である!。日本最古の防雪林は青森県野辺地駅付近にあり、1893年ということだ。ほぼ同時期の防雪林と思われる。
しかし、その根拠となる指標や説明は現存せず、また文献でも確認できていない。だが、「防雪林」であったことは間違えなく記憶している。

筆者の過去の写真で、この指標か看板の写真が無いかと探したのだが、見つからなかった。唯一、あったのは、この小道が旧武蔵藩と相模藩の境目にあたるという説明板であった。ちなみにこの場所は現在墓地の前になっており、この看板は現存しない。

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1982年5月1日の写真である。

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現在の写真。奥に環状二号線が見える。


思えば、横浜駅付近では雨でも、この境木辺りでは雪のことが多かった。横浜の積雪量の倍近く積もることもざらで、地元民には寒いところと知られており、明治時代となればなおさらであったと思われる。東京にも近く、実験試験としてこの地が選ばれても不思議ではない。谷戸の地形から言っても、実際に役に立ったのではないだろうか。

ということで、時期は置いておいて、これが防雪林であることをここではお伝えしておく。
最後に「日本鉄道百年写真史」(高校の図書室にあったのを記憶している)より、清水谷戸トンネル複線完成時(1897年か?)の写真を掲載させていただく。これを見ると全く雑木林がないことがわかる。とすれば野辺地よりは新しい防雪林ということになる。

Simizuyato