naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

新世代写真(1999)

新世代写真

先日書きました写真展が終わりました。大学生の皆さんの写真展に参加させていただきました。年末の忙しい時期にやるので?毎年参加するのはできないのですが、今年は、このホームページの絡みもあって作品を用意し、搬入に行きました。我に帰ってみれば(笑)僕が学生の頃に生まれたのが今の学生であって、いやあ、今やオジサンと認めざるを得ないのですが、写真を出させてもらった上に、なんだが、写真という共通項を信じて一言。(くどいな)

写真って、

1.記録写真
写真の消費の中で一番多いのは、なんと工事写真である。ま、報道、証明写真的のものも含め記録写真は、当事者にとって大きな価値がありまさしく「真」を写すものである。
2.記念写真
これをのぞくと、やはり多いのは「記念写真」であろう。記念でなくても家族のアルバムに貼る写真なども含めれば、これは、写真の価値の中で最大級のものである。しかしその価値もやはり家族、仲間内の価値である。
3.趣味的写真
そして残りが、趣味的写真。いや芸術的写真だという方が多いとは思うが僕は「芸術」の意味をやや狭く考えているのでこう定義したい。そして、写真全体の中のほんのわずかなこの分野が、あたかもすべてのように語られるのが写真雑誌をはじめとする写真業界である。
(こう構えてみたところでよくある写真論を見たわけではないので不勉強な点はご容赦ください)

プロの写真家も実は上記分野別にそれぞれ、報道、写真館、雑誌カメラマンと言った形で存在し、人数もだいたいこの順であろう。さらにプロはそれぞれの分野をすべて経験するようなパターンは多いようだ。ところがアマチュアは違う。1.や2.のアマチュアカメラマンなんて聞いたことがない。そこで前述の勘違いが起こる。写真は3.がすべてだと。
さて、皆さんも経験無いだろうか。ちょっと趣味で写真をやっていると、披露宴や発表会の写真を頼まれることが。また、子供が産まれれば、成長するにつれて、イベント写真を撮らなくてはいけなくなる。(それをいいわけにカメラを買うことも;)このとき否が応でも自分の撮った写真が人目(それが恋人や友人、奥さんやお子さんにしても)にさらされ、評価を受ける。僕の経験として、この評価は相当厳しい。写っていて当たり前。いかに綺麗に、かっこよく写っているか、だ。それが写ってなかった、なんて言ったらもうだめだ。
ところが3.は違う。評価するのは、まずは、自分だ。自己満足でもいい。それが趣味たる所以だ。でも・・・趣味であっても向上したい、と思う。でしょう?まして、写真展に出すともなれば、人に見せる中でも一番厳しい。家族や知人なら、思っても言わない、心優しい?人もいる。でも第三者は違う。言われる言われない、それだけではない。金を取るようなことになればそれは、客である。アマチュアであろうが、プロであろうが、人目に出すと言うことは最低限その心構えは必要、と言うことだ。
この心構えはプロの中でも1.2.の分野が一番強いのではないか。3.の分野はこの辺のサービス精神(というと誤解されるがようは客意識)が欠けている人も多いと思う。でもそういう人でも食うためにはいろいろやっているはずだ。だからせめて自己表現の場としてやる、ある意味芸術肌の人も多い。だから技能はあるのだ。当然だけど。
でもアマチュアは違う。やりたいことをやればいいのだから、その中ででも向上していけばいい。だから、せめて、

破れた写真は出すなよ。

それと、

写真って好きですか?

丁寧に仕上げることと型にはまることは違います。

え、怒っているわけではないんですよ。自由な発想の結果、あれでは自分でも不満だったんじゃないかな、学生の皆さん(全員じゃないよ)。自分のイメージどおりにできる技能を身につけることができたらいいよね。あ、僕はずうっとそう思ってるよ。だから趣味が続くのかな。

1999年12月19日