naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

コンピュータとApple-1(2000)

コンピュータとApple-1

僕はコンピュータのことは良く知らない。だからそういう話題はこの場のように自分の興味本位に書いた文で扱うと、詳しい皆さんには判りきったことか間違ったことしか書けないのではないかと思い、避けている。でも専門的な話ではなくて、自分の履歴を通して書けばちょっとは皆さんに見せても面白いことが書けるかな。

僕がコンピュータに接したのは1981年にシャープのポケットコンピュータPC1211を買ったのが最初だ。学校演習課題のエンジン設計計算の繰り返し計算をさせて、最初は幾晩かかっても解けなかった計算が、ものの30分で解けてしまった(もっともプログラム作成、バグ捕りに数日かかったが)のに感激したものだった。PC1211はカシオのP502と双璧のプログラム電卓だったが、これは簡易ベーシック言語であったから面白かった。研究室の当時は贅沢な16bitCPUパソコンで卒論用の5管ピトー管から空気の流速と三次元方向を求めるプログラムもベーシックで書けたので、共同研究相手に騒音中での実験を7割方まかせても少しは役に立ったと思う。
しかし当時から友人の中にはNECPC8001を購入して、その中身から理解していたものもいたが買うにはあまりに高価だった。ただ高価だったからパソコンに手を出さなかっただけではない。MS-DOSの世界になって一太郎ロータス1-2-3のようなソフトを扱うことやそのOSに精通してパソコンの中身に入っていくことに興味を見出せなくなったのである。
正直なところ、今でも同じなのだが、機械のギミックのように手で触れるものや、絵や写真のように目で見えるものでないと実感が湧かないし、数値計算もプログラムを作った実感やその利用目的の手段であって、そのものには興味が湧かない。このことは大学進学時に理学部か工学部かで悩んだところで、自分のように興味の湧かないものには始めから手を出さない人間では、数式を根気よく解くことはできないと自覚し結論した。実はそうなると自分は理系人間ではないのだとも言えるのだが・・・。

で、一旦興味が無くなると、悪い癖で、寄りつかなくなってどんどん取り残される。さらに悪いことに本人はそう思っていないのだ。所詮ワープロ表計算なんて文房具の一つでしかない。そこにマッキントッシュが現れた。僕はアップルコンピュータが世界初のパソコンメーカーだとは知らなかったし、当時はキヤノンが扱っている馬鹿高いコンピュータでしかなかった。こともあろうに友人の一人がこの馬鹿高いコンピュータを、しかも白黒9インチ画面の小さなコンピュータを買ったのである。でもそれはコンピュータではなかった。

(未完)

2000年11月3日