naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

OffCourse-1(2001)

OffCourse-1

はじめに断っておかなければなりませんが、僕は音楽に関して語る知識も才能もありません。じゃあ他についてはどうなんだ、といわれれば、こと音楽に関してよりはるかに語ることができるといってはばかりません;)
それだけ音楽に関して、何というのか、引け目のようなものを持っているでしょう。弟、妹は楽器演奏にも長けており、友人関係でも早くからビートルズをバンドコピーしていたし、そして最近でもバンド活動をしている友人のライブを身近に聞く機会もあったのですが。今では子供がピアノを練習しています。楽器が弾ける人がうらやましい。
そんな自分でも、音楽に接するようになったのは、中学から高校にかけて、かぐや姫、グレープといったフォーク後期の歌でした。英語嫌いの洋楽嫌いの裏返しですが、音楽が好き、というのにはこの当時、洋楽、ロック(クラシックは別格として)でなければならない、という暗黙の了解があったように記憶しています。

そんな僕が、音楽に関して、少なくても普通なんだ、と思う(勘違いする?)ようになったのは「カラオケ」のお陰です。誰も洋楽なんかビートルズですらうたわないぞ、なんだ、「22才の別れ」、みんな歌うじゃない、てな感じですね。(ただカラオケって会社の連中とは行くけど、中高校の仲間とは行かない。世代もあるのかな、僕の周囲では友人同士でカラオケに行くということはないですね。)
ということでカラオケ屋に行くレベルでなら、僕が音楽を語っても良いのかと。

オフコースってご存じですか。たぶんここを見る人は世代的にも全員知っているでしょうが、解散したのは随分昔なんですよね。リーダーだった小田和正がこのころの自分の歌をセルフカバーした「LOOKINGBACK」「LOOKINGBACK2」を最近聞いたのですが、すごい違和感を感じまして、作者がリニューアルしたのだからそれでいいのでしょうけれど、自分が良いなあと思っていたコーラスやフレーズが無くなったりしているのです。
どうしても好きな音楽アーティストをあげろ、といわれれば、まー、オフコースかなあ、という程度ですけれど、自分を自己分析する一断面としてはおもしろいか。

僕の中学、高校時代は、深夜ラジオ放送のはやっていた頃です。受験時期は欽どん、高島ヒゲ武、オールナイトニッポンニッポン放送と、大学の頃もレポート書きで徹夜しながら、文化放送吉田照美、ミスDJの川島なお美千倉真理あたりを聞いていたかな。AMラジオでも音楽番組を結構やっていました。日曜日の午前中にはロイジェームスのベストテンがあって、不二家のCMが荒井由美だったりしたのです。

当初、高校まではオフコースは知りませんでした。名前くらいは知っていましたが、かぐや姫などに比べると無名だったのです。で、この当時、妙に覚えているのが、ダークダックスがやっていた番組(日曜の午後だったか。日曜はだらだら寝て過ごすことが多かった;)にオフコース小田和正がゲストで出たとき、不機嫌そうな話ぶりで、途中音楽性の話になって、(何の話だか覚えていませんが)何故そうなのか問われて、そんなことは説明しても仕方ないと、以後一言も話さなかったのです。同じようなことが始まったばかりの「笑っていいとも」テレホンショッキングでもあって、タモリとずっと黙っていたとか。
で、歌は覚えてないんです。ラジオで聴いたときも、なんだこの女々しい歌は、って感じだったのでしょう。

大学に製図室というのがありまして、機械科学生は自分の机と言えばここのことになります。提出時期が迫ると朝から晩まで(または徹夜で)ここにいました。1979年はソニーオークマン元年で、カセットテープも音楽に適したTYPE1、2,3と増え、ドルビーノイズリダクションもできて、システムコンポが出て、オーディオが学生にも手が届くようになっていました。ですから、製図室にはラジカセやウオークマンにスピーカをつけたのが持ち込まれ、いろいろな音楽が流れていました。洋楽特にロックはさすがにここで流すには騒がしすぎたか、聞く人はヘッドホンでしたから、聞こえてくるのは「歌謡曲」「ニューミュージック」でした。
松田聖子河合奈保子柏原芳恵、ついでに渡辺真知子(1980年に横浜駅西口のヨコハマカーニバルに全員が来たのよ!無料で)、引退間近の山口百恵ピンクレディー太田裕美岩崎宏美久保田早紀(異邦人よ)、八神純子、デビュー仕立てのサザンオールスターズ・・・ふー、まだまだあるのですが。そんななかでオフコースも目の前の友人の席でかかっていました。

なんだか長いな・・・

(未完)

2001年6月18、19日、21日改訂