naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

阪神の再起(2002)

阪神の再起

7年目の1月17日が過ぎた。

オリックス練習場でのイチロー選手が報道されていたが、この日を自主トレ開始の日にしたかった、と答えていた。1995年のオリックスブルーウエーブはイチローの大活躍でリーグ優勝し、神戸のプロ野球チームとして復興の証になった。さて、一方の、阪神タイガースも開幕当初、期待されたが、中村監督の途中辞任、藤田監督代行の不振で定位置最下位に終わった。阪神は大阪の球団やから・・という言い訳が聞かれたが、実際にはブルーウエーブ本拠地グリーンスタジアム神戸のある西神地区は地震の被害はほとんど無かったのに対し、阪神甲子園球場のある西宮市は大きな被害を受け、甲子園球場自身一部破損している。そんな阪神が優勝することが神戸市民の期待でもあったが、がっかりする結果ばかりで、オリックスはこの期に一気に神戸市民球団の名声を得ることが出来たと言って良いだろう。
2002年、タイガースに関しては星野新監督就任、田淵コーチ就任が野村前監督の後味の悪い辞任劇を一掃してくれたが、肝心の選手は、川尻投手が大リーグ移籍問題でもめたまま、藪投手はエースナンバー18の剥奪(新背番号は4;)、坪井選手は故障が癒えず応援ホームページも閉鎖・・・。どうも良い話題が書けそうにない。

以下、下記参照。

阪神の再起

2002年1月18日