naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

一眼レフデジタルカメラ-4(2002)

一眼レフデジタルカメラ-4

本来、ここで実際の一眼レフデジタルカメラの作例でも、といきたいところだが、冷蔵庫が壊れてしまって;)懐がそうも行かないので、ひとまず完結しよう。

実際の所、仮に今、買うとしたらどの製品が良いだろうか。

一眼レフデジタルカメラは、現在、プロ仕様とハイアマチュア仕様の二つに分かれている。前者はコダックニコンキヤノン銀塩カメラをベースに出していたがニコンD1が百万円を切って普及への先鞭を付けた。現在はニコンD1X,D1H、キヤノンEOS-1Dなどである。コダックは今はブローニー版645のマミヤやコンタックスのフィルムバックにデジタルバックとして取り付けるタイプになっている。このクラスは最も安いD1Hでも40万円(実売)、報道向けのカメラは300-500万画素、スタジオ写真向けのコダックで1200万画素と用途を絞った仕様になっている。素人はなかなか手が出せない価格と仕様だ。

後者はキヤノンD30、フジファインピクスS1proが昨年発売され、今年D60,S2proになり、ここにニコンD100が参入した。価格帯は20万円になっており、無理をすれば手を出せるところまで来た。(ホントか?)実画素数も600万画素、写真雑誌でもライバルとして取り上げられ、騒々しいが、デジカメは実際の画像データがインターネットを通じて流通するので、従来のように雑誌上で表現をぼやかしてあっても、画面上で見えてしまう。

画面上で見える画像はMacの場合72dpiが標準なので、600万画素の3000×2000だと1000mm×700mm!相当の大伸ばし、しかもその一部を凝視する状態である。先に述べたように写真機史上そんな鑑賞方法はされたこともなく、想定もしていない異常なことである。この時目に付くのは当然解像度なので、評価もそれに偏ったことになってしまう。

危惧するのは、そもそもローパスフィルタによってぼやけた像しかCCDは拾っていないので、画像処理による強調画像の出来を云々することになる。その出来が良いに越したことはないのだが、無理なエッジ強調は不自然な「作った写真」になることである。筆者はフィルムスキャナで経験済みだが、実データ以上の画像は嘘が多い。凹凸もなくのっぺりした壁の中に突然シャープな窓枠が見える・・なんて事に成りかねないのである。さらにやっかいなのは一つのカメラでもシャープネス、コントラストの設定を切り替えることで変わってしまう。これはユーザーにとっては良いことなのだが、デジカメ評論家が正しい評価をしているのかどうかがわからなくなってしまう。買ってみて、自分の撮影条件に合わなかったということが心配だ。なにせ高価なのだから。

雑誌で見る限り、解像度ではフジファインピクスS2pro、低ノイズではキヤノンD60のようだ。ニコンD100の立場がないが、レタッチ性の良さではこれだそうだ。これについての評価は全てのカメラを自分の撮影条件で性能が引き出せるように設定して比較しないと分からない。個人では不可能だ。従って自分の写真表現に不足がなければ他社に負けても気にしないくらいでないとやっていけない。

 

最後に一眼レフデジタルカメラのメリットは何か、考えてみよう。最初に述べたようにデジカメの中では、カメラの基本性能に優れ、特に撮影のレスポンスが銀塩カメラ並になっていることが特筆される。しかし、相手はデジカメではなく銀塩カメラだ。デジカメだろうが銀塩カメラだろうが、最終目的は「写真が撮れる」ことである事を忘れては成らない。

一眼レフデジタルカメラのハイアマチュアクラスはベースが銀塩カメラの中級機なのだ。ニコン、フジではF80、キヤノンはEOS7ではなくクラス下のKissのようである。(AFなどはAPSカメラのようだ)だからカメラの仕様としてはニコン、フジが上だ。写真撮影にはこの差は大きい。

それでもF5やEOS-1vには及ばない。これらの高速連写性能に匹敵するのは40万円のD1H以上だ。実際は85万円のEOS-1Dしかそのスペックは達成していない。

マチュアである筆者は写真を撮る目的のためには今所有しているカメラの方が優れているというのが結論だ。

では一眼レフデジタルカメラは不要かと言えばそうではない。

実はカメラ性能以上に写真を制約しているもの、それはフィルム代、現像代、プリント代だ。急に現実的な話だが、写真が趣味の筆者でも、撮影中に(無意識のうちに)コストが気になってシャッターが切れないことがある。いやそれが多い。これは写真が下手な証拠だ。
学生時代写真部では白黒写真でコストを抑え、数多く撮るよう指導され練習をしたから普通の人より多く撮るのを心がけてきたつもりだが、近年、デジカメを使うようになって、フィルムコストから解放されたその気楽さに気付いた。そして気楽さから写真が変化することも。今までも撮ってきたつもりの街角スナップだが、「これはまあいいや」と思って撮らなかったであろう写真もデジカメの気楽さで「とりあえず撮っておこう」になり、そのような写真が面白く感じることもある。
さらに最近感じるのは写真の記録性だ。拙HPの中に阪神電車を扱ったものがあるが、ここにある20年前の写真を見て懐かしく思ってくれる人がいる。それでも関西旅行で撮った奈良、京都の写真に比べ、阪神電車を撮った写真は大変少ない撮影枚数だ。芸術性以前に記録、記憶の面からも写真はシャッターを切らなくては話にならないことを痛感した。

気楽なデジカメであるが故に撮れる写真。だがそれは写真品質からすれば大伸ばしに耐えないものだった。それが一眼レフデジタルカメラになれば、35ミリフィルムに拮抗する品質になる。

この気楽さと写真品質の両立が一眼レフデジタルカメラの良さである。それが自分の写真の殻を破ることになるのなら、買っても良いかな・・・・と・・。いや・・懐が・・・。;;

2002.8.25