naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

北海道旅の記憶-1

友人が今年も北海道一周旅行に出かけた。
車中泊一人旅はうらやましくもあるが、距離が距離だけに、筆者のように本質的には長距離運転があまり好きでなく、宿をとるのも面倒な無精者にはまねできない。過去に行った北海道旅行では、車の助手席か後部座席にふんぞりかえっているか、鉄道旅行だった。道内の鉄道旅行は昔から不便で、JRとなってからはなおさらだろう。

もっとも最近行ったのですら1990年8月初めだったが、このときは自分の車で、写真仲間の友人にほとんど運転をまかせて、行き帰りは「カートレイン」つまり貨車に車を載せ、併結された寝台車で横になって東京から札幌まで移動できたので良かった。
このときは写真仲間と行ったのでとことん写真撮影に徹した。北海道の写真といえば故・前田真三の美瑛、富良野の写真が好みだ。本来観光地ではなかった美瑛だが、前田真三の写真が女性に人気が出ると、「メルヘン」を前面に出した観光地となった。1990年当時もすでに「拓真館」という前田氏の写真展示をメインとした観光名所が出来ており、隣には前田氏自身の住居があった。

美瑛、美馬牛のメルヘンチックな丘は、北海道開拓によって生み出された農業地で、人力、馬力では原生林を切り開くのがやっとで、土地の凹凸は自然のままだった。だから起伏の谷間を走る幹線道路は見えず、凹凸の丘の畑が広がって見えるのだ。
その勾配はきつく、FF車では苦労した。しかし丘の上に立つと下からは想像できないような眺めが展開する。

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この撮影の帰り、下り急勾配の途中で4WD車とすれ違った。運転していた筆者は気がつかなかったが、友人は前田真三が乗っていたのを見たらしい。我々は氏と同じ撮影ポイントで撮っていたのだ。

近年、効率の悪い農地を平坦にする話も聞いたが、観光地となって地元は困惑しているらしい。

北海道は中学の時に家族旅行で行ったのが最初だが、札幌、登別、函館に泊まったのだが、記憶にあるのは行きの飛行機が乱気流でひどい揺れだったのと、登別で蒸気機関車D51を見たのくらいだ。
父親が単身赴任で札幌にいたことは、2歳でも記憶にあるが自分が行ったわけではないのでよくわからなかった。
一方叔父が学生時代北海道旅行に行った後、体調を崩し亡くなったことは幼稚園の頃なので良く覚えていないが、神戸の実家に北海道旅行の写真が長く飾られていたので気になっていた。

本当の意味で最初の北海道旅行は、叔父と同じ、20歳の夏だった。今思えば、母は自分の弟がそうだったので心配していたようだった。