naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

北海道旅の記憶-2

1981年の夏は暑かった。
夏休み中に機械工学科の必修である「渦巻きポンプ」の計算書と製図を完成させなくてはならない。しかし金がないのは学生の常。前年に続いて6月末から中元の配送アルバイトを始めた。車の運転が出来るし、割も良い。仕事の少ない時はこの車で学校へ行って製図室に。しかも「部分日食」が横浜で見られた日は、ずっと外にいた。
若く疲れ知らずであってもさすがにばてた。いよいよ北海道に出発だというのに熱が出てしまった。先に書いたように叔父のことがあったので母は結構心配していたらしい。

友人ふたりは先に行ってもらって、2日後に函館で落ち合うことにした。(この先”友人”が何回も出てくるが友人A,B・・とでも思って下さい。自分でもどれが友人Aだとか考えながら書くのも面倒なので;)

学生ご用達「急行八甲田」に乗って、青森から青函連絡船に乗る。しかし北海道にめずらしく台風が近づいており、道内は曇天から雨天に変わっていった。
旭川を目指して走っていたが、雨は大雨となり、やがて国道も水没した。この時の車は友人の「スカイラインGT」でお世辞にも車高が有る車ではない。しかし路肩らしきところに何台もエンスト車が止まっている脇を、勢いで進んでいた。
旭川へ入るには峠を越えなくてはならない。しかし国道は早々にがけ崩れで通行止めになり、運転する友人の機転でどうにか峠を越えるとその道も通行止めになった。今度は旭川から出ることが出来ない。筆者は再び発熱し、二日ほど友人の親戚宅に滞在させてもらった。

いよいよ道央へ出発したが、層雲峡、黒岳を抜けていった。このときは前田真三の美瑛の写真が雑誌に出たばかりで、この写真に一目ぼれした筆者だが、撮影場所がどこなのか知らなかったので、美瑛を通過してしまったのが悔やまれる。

hokkaidou90_8_3