naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

北海道旅の記憶-3

阿寒湖、オンネトー摩周湖(霧が無くて良く見えた・・)と有名観光地を過ぎ、釧路、根室に着いた頃からまた天気が悪くなってきた。厚岸も良く見えず、写真的には収穫がなかった。旅半ばであるが、車の中で会話も少なく、次の目的地を決めるのにも天候には勝てない。写真を撮る目的で標津から野付半島のトドワラを目指して走る。

ところで当時の学生は、北海道の宿泊といえばユースホステルが最適だった。今ではどうなのか知らないが、当時、特に北海道はYHが充実し、「若人の宿」として賑わっていた。一方で、規律が厳しかったり、イベント参加を強制されたりで、敬遠する人も多かった。筆者はこのときは良かったのだが、翌年の冬に北海道に行って、雪の中で花火大会をするというのだが、寒いからさっさと寝てしまった。それ以降YHは使わなくなった。

で、標津の尾岱沼(おだいとう)YHでは、偶然友人に会った。実はこの友人が昨年行った北海道を多いに語るので、前田真三の写真とともに、この時の北海道旅行のきっかけになった。その友人とここで再会できるとは思わなかったが、翌日、倦怠感が漂っていた車中が活気づき、空気の入れ替えが出来た。

トドワラは沈下する野付半島の先で枯れたトドマツが密集するところだったが、このころすでにかなり枯死が進んでいて思うような写真にはならなかった。羅臼から宇登呂へは知床横断道路で渡り、斜里でこの友人は下車し釧路へ向かった。我々は逆に浜小清水、網走、能取岬へ進んでいった。ここはオホーツクを見下ろす岬で、灯台がぽつんとあった。白黒フィルムのコントラスト強調でオレンジフィルターを付けた24mmレンズにはこの旅行の中で最も素晴らしい青空と雲がファインダー越しにオレンジの夕日に照らされたように写っていた。後に写真展に出品したこの作品に「秋の気配」と名付けた。オフコースの曲と揶揄する人もいたが、この時の筆者の心情と風景が一致した一枚になった。

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「秋の気配」

このあと、宗谷岬稚内から一気に南下、小樽、苫小牧-八戸から国道四号(当時東北自動車道はどこまでだったか)走破して、横浜へ。約20日の旅行が終了した。この間、自分はほとんど一度も運転せず後席で寝ていることが多かった。しかし写真は撮った。撮ったが作品になったものは天候のせいも有り少なかった。が、日記も書かない無精者でも写真を見れば記憶をたどることが出来る。

ふいに思い出した昔の記憶でありました。もう秋の気配・・かな?

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稚内で。この写真は写真展のポスターに使ったのだが、意外に評判が良く、学内と会場で女性が欲しいというのであげた。