naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

野球ファンの端くれとして

プロ野球が70年の歴史の中で初めてストライキに入った・・・こんな報道が大きく報じられて、野球ファンでない人にはなぜこんなに大きく報道されるのか疑問に思われることだろうが、野球ファンの端くれ(決して”熱狂的”ではないが)として考えた。

プロ野球が70年の歴史の中で初めてストライキに入った」の中には、考えてみるとどこにも大きく報道する理由がない。しかし本当はこの根底にある問題が大きな報道の理由ではないかと思う。

現状のみ見る限り、労働組合である選手会が、球団経営側の性急なチーム削減の動きに反対して、職場確保の為に主張、交渉、決裂し、ストライキに入った。労働者の権利として、職場の保全を主張することは当然だし、経営側が改善の為にリストラを行うことは、前向きではないがやむを得ないことだ。
ここで重要なのは企業活動には顧客が存在するが、スト、リストラという行為には顧客は介入できない。強いて言えば株主として介入できるかどうかだ。

だから、はじめに掲げた報道内容は、かつての鉄道のストなどよりも社会的影響が少なく、大きく報道する意味はないように思える。

上記一般論では、しかし、今回のプロ野球騒動は片付けられないものが存在する。それはスポーツ文化としての「野球」、娯楽興業としての「プロ野球」の歴史に関わる。


明治期、正岡子規がベースボールを紹介したのが日本の野球の始まりとも言われるが、早慶戦を皮切りに学生野球が始まり、やがて大きな人気を得た。
大正期、朝日新聞社が文化事業の一環として中等野球全国大会を始め、毎日新聞社が遅れて選抜大会を始めた年、阪神甲子園球場が完成した。1924年のことである。

その後、高校(大学)中学(高校)野球は文部省管轄におかれたが、現在は日本学生野球連盟として自立している。戦前の日本の野球といえば大学野球を頂点とし、中等野球甲子園大会が日本全国の人気を集めた。

一方、プロ野球は、1934年2度目の全米選抜野球チームと日本選抜で沢村栄治が京都商業を中退し、エースとして参加、1勝もできなかったが、そのときの11月草薙球場での好投(ベーブ・ルース、ゲーリックを含む4連続三振)はいまや伝説。

その1ヶ月後の12月、読売の正力松太郎をオーナーとする「大日本東京野球倶楽部」が創設。
このとき読売は相当強引なやり方で沢村を高校中退させ日本選抜チームに抜擢し、それをベースに発足したこの「職業野球」第一号(実業団は既に多く存在していた)に沢村も入団した。翌1935年12月の大阪(阪神)タイガース発足から1936年3月までに発足した7チームが「日本職業野球連盟」を作り、プロ野球が始まった。
その後も新規参入、消滅、合併を繰り返し、次第に増えてゆく。


このとき、沢村だけでなく、藤村富美男(大阪)も強引に大学進学から引っ張られたらしく、この短期間に実質、読売新聞社の誘いで発足したチームはどこも選手確保に苦労し、強引な工作をしただろう。これがプロ野球とアマチュア野球の確執を生んだと言って良く、それがいまだにずっと尾を引いているのだ。


同時に、読売が朝日の中等(高校)野球に対向していたとはいえ、娯楽文化事業として野球界の発展に大きな役割を果たしたのも事実だ。「職業野球」として対戦相手のいない1935年はアメリカ遠征、日本全国巡業を行い、「旅芸人」と同等(というのも差別だが)に扱われていたものを、連盟の結成から、年間に多数のリーグ戦を各地区を遠征して行い、1939年、年1シーズン制にこぎ着けた。


しかし、ようやく立ち上げたプロ野球も戦争によって選手の出征、戦死、負傷が多くなり、沢村(すでに中国出征時に肩を壊し、勝てなくなると読売が解雇していた)が戦死した1944年、一時休止。1946年終戦の翌年から、プロ野球ペナントレースが8チームで復活した。


戦後、大衆娯楽としてプロ野球は大きく発展した。1950年、パシフィックリーグ発足により、2リーグ制になる。このとき、パ・リーグ阪神タイガースも参加する方向だった(阪神、阪急、近鉄、南海の関西私鉄構想)が、読売巨人との「伝統の一戦」が捨てきれずセ・リーグに残ることになった。阪神は有力選手がパ・リーグチームへ移籍し、弱体化した。

この1950年、発足時のセントラルリーグのチーム数は7だった。(読売ジャイアンツ松竹ロビンス阪神タイガース中日ドラゴンズ、広島カープ大洋ホエールズ西日本パイレーツ
実際のシーズン前には国鉄スワローズが新規参入し8チームで行われた。
1951年は西日本パイレーツパ・リーグ転向、西鉄と合併。
1953年、松竹と大洋の合併で6チームになるまでは7チームだった。

パ・リーグも1958年、毎日オリオンズ大映の合併で6チームになるまで、7,8チームを擁した。

以降、現在までセパ両リーグ12球団が身売りはあったものの定着した。


以上の歴史をたどると、今回のストライキの原因となった、オリックス-近鉄の合併や奇数チームのペナントレースを異常と言う選手会、逆に新規参入チームの審査を30日以内に行うという規定があるにも関わらず、来シーズンの参入は無いという野球機構の、双方の言い分に説得力が無いことが分かるだろう。

読売前オーナーの「巨人パ・リーグ移行」発言、「10チームなら1リーグ」発言も歴史的には可能だし、2リーグになったことを苦々しく思っていたのが正力松太郎初代コミッショナーだった、という経緯も今回の発言に結びつく。この機会にやってやれという傲慢さが問題を大きくした。

セ・リーグの読売以外の球団、特に阪神以外は巨人人気によって興業が成り立っているので、その利益確保の為の1リーグ反対であること、パ・リーグの衰退は、もともとで、阪神もその責任があったこと、パ・リーグ人気チームのダイエーは再生機構によって球団を維持できなくなる可能性が高いこと、西武オーナーが本当は巨人とペナントレースをしたいこと。

近鉄の球団名売却に最も反対し潰したコミッショナーが、近鉄を追い込み、なぜか身売りではなく合併にしたのは、どうもこの根来天下りコミッショナーがそそのかしたらしいこと。


(書いている時刻は午前2時になった)もうつかれてきたが、

Jリーグが地元ファン密着型を掲げ、実業団クラブチームが発展したものなのに対し、プロ野球は実業団と敵対してきた経緯が有り、また地元密着は旗揚げ時の旅芸人意識が抜けず、ダイエー日本ハム程度しか対策を打ってきていない。

子供ファンの取り込みも、学生野球との対立から今まで抜本的対策をとらなかった。

それが衰退を招いてきたと感じ始めた矢先の今回の事態。


野球ファンのうちの子供(6歳)ですら、巨人の試合しかテレビにでないことを不思議に感じている。長女の小学校でも野球よりサッカーの方が人気で、チーム人数も多い。それが現状だ。
だから中年野球ファンは、本当にこのままでは好きな野球が観られなくなると、今回あらためて感じている。


ストではこの事態は悪化するだけだ。それは皆分かっていること。
でもこの機会に直せるものは直そう、協力して野球界を復活させよう、そう願っているのはファン以上に、プロ野球当事者全員がそう願わなくては本当の解決にはならない。

(以上、長文を読んで下さった方に御礼)