今日、NHK特集「地球大進化」を見た。
6回シリーズの最終回であったが、過去には一度、恐竜の進化の回を見た。恐竜は筆者の子供の時分にも大きなブームがあったが、そのころの恐竜図鑑のほとんどが間違えだったというくらい、近年の恐竜研究は変化している。たとえば陸上首長竜の図解は高いところの木を食べるブロントザウルスが主だったと思うが、そもそもブロントザウルスという種は存在せず、また、首も大きく海老反るような角度には曲がらなかったので、ほとんど水平に延びて、尾っぽとでバランスをとっていたそうな。また色ももっとカラフルだったらしい。そもそも爬虫類の祖先である恐竜の色が象の肌を参考に描かれていたのは理不尽なことだ。
今回は最終回、ヒトの話だ。
筆者と同年代の人は同意してくれるだろうが(または学校教育に最新研究が反映されるのは数十年遅れることも多いから今でもそう教えているだろうが)、ヒト、ホモ・サピエンスの祖先は類人猿で、そこからアウストラロピテクスが出現し、ジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人と進化してヒトに至ったというように教わったし、当時読んだ科学読み物もそのような解釈だった。
しかし、ここ20年来のDNA研究により、全く違う見方が主流になった。つまり、ヒトのなかで絶滅しなかった、あるいは、絶滅させて生き残ったのがホモ・サピエンスだというものだ。
番組での話では、果実を木の上で食べていたアウストラロピテクスがヒマラヤ山脈によるアフリカの乾燥化の時期に、木から降りた2種類の人類に進化した。1種は動物の死骸を食べ、1種は木の根を食べた。このうち肉食を覚えた種の脳が爆発的に巨大化し、一方は滅亡。さらに枝分かれしたジャワ原人、北京原人は早々に絶滅し、最も後から別れたネアンデルタール人はアフリカから氷河期のヨーロッパへ進出し一大勢力を築いたが、わずか3万年前に滅亡した。数万年共存したホモサピエンスがアフリカから世界に渡って現在残った唯一の人類となった。というものだ。
しかもネアンデルタール人のすぐ上の地層からホモサピエンスが出ていることから、ホモサピエンスがネアンデルタール人を滅ぼしたという説もあるらしい。
筆者が番組中で最も興味を持ったのは、ホモサピエンスとネアンデルタールの違い。実はほとんど同じで、外観上は現代人とも区別がつかなかったと言われる。その唯一の違いは、頭がい骨の咽部分のわずかなくぼみの有無。それはのど仏の位置が上にあるか下にあるかだったという。
この違いは、過去の進化の陸上生物や2足歩行生物の出現といった生物学上の優劣ではなく、のど仏が下で、長い咽を持つホモサピエンスが、それをうまく共鳴させて鳴き声を操れた、つまりうまく言語を使えるようになったのに対し、ネアンデルタールはそれがあまりうまくできなかった(言語はあったらしい)という差だった。
つまり、獲物の情報、狩の情報、食べられる果実の情報、道具の情報、様々な情報が、多くの民で共有できたか、また、世代を超えて共有し、そこに上積みしていけたか、の違いだった、というのだ。
今我々は知識を持っている、らしい、が、これは自らが発明したものではなく、同世代が発明したものでもない、そういうものがほとんどを占めている。この根底には、言語を操るという、もた、後年には文字を操るという、情報伝達手段の発達が必要であった、ということだ。
なんということでしょう(「ビフォー・アフター」というリフォームの番組中に出てくる「サザエさん」のナレーション)、既に人類は、情報能力の有無によって、滅亡か存続かのふるいに掛けられていたのだ。
新人類とかミュータント、ニュータイプなんて冗談やSFで語られるだけだったが、もしかしたら外観上現れないわずかな違いが、ホモサピエンスを「進化」させ、残った人類を滅ぼすかもしれない。いやすでに我々の体内に起こっている現象かもしれない。情報能力の次に求められる能力、たとえば「精神進化」は、身体構造の最も精密かつ未知の部分である脳、神経の構造、能力である可能性が高い。パソコンが使える、使えない、という低レベルの話ではないが、何かしら、そういうことが一つの引き金になることだって否定できない。
すでに「最後の審判」を待つばかりだったとしたら、あなたはどちらに入っていると思いますか?
筆者は・・・、子供に託せればそれで良いと思います。