naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

権太坂から見た富士山

高校へは自宅から徒歩通学でした。幸い近くの高校に入学できたのですが、二キロほどの距離で今なら結構な距離なのですが、当時は全く遠かったという記憶がありません。若かったのですね;)

通学路の半分は、「東海道」でした。
それも昔の東海道の面影を残す旧道です。お寺などに興味を持っていたのにもかかわらず、そのころはこの道に何の意味も感じていませんでした。今となっては大きな松の木や古い洋館があったのに記録に残せなくて残念です。

何度かこのブログにも書いたように、ここは「権太坂」と呼ばれる珍しい地名でした。それも意識するようになったのは、箱根駅伝が全区間テレビ中継されるようになった1989年以降のことで、それも実家の近くの国道一号線を”権太坂”と呼んでいたからです。しかもそのアナウンサーが高校野球部の先輩だったと言うおまけつきで。

そんなことですから、高校時代の権太坂に確かな記憶が無いのですが、(ただの通学路ってそんなものです)鮮やかに記憶に残っているのは、特にこの時期に途中で見える、富士山の雄大な姿でした。

この東海道沿いにある小さな商店街は「富士見台」と言う名前で、確かに富士山が古い尾根伝いの道から良く見えました。江戸時代にも富士見の名所に数えられていたようです。

それを思い出して、この場所で初めて写真に撮ってみることにしました。

0822409_595

手前の住宅地は40年ほど前に開発されたところです。それ以前は、かなりの窪地と丘だったそうで、半分を削り、半分を埋め立てたと聞きます。この東海道から見た景色はおそらく昔にはもっと絶壁の尾根伝いに富士を望んだことでしょう。


そう思いを巡らせたのもつかの間、思わぬ光景に気がつきました。

00822410_002

ちょうど富士の手前に見える山。ブルドーザーがいますが、明らかに人工の山です。現代のぼた山とも言うべきでしょうか。建設残土など産業廃棄物の山でしょう。
ちょうど横浜新道沿いで、昔からちょっと目に付きにくい地形のところにいくつも産廃場ができて問題になったところですが、こんなに大きくなっていたとは。

当然、30年前はこんな山は見えませんでした。
なんだか思い出が汚された気がして無念です。
もっと昔に撮っておきたかった景色になってしまいました。