naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

早春 東京汐留浜離宮 2024年2月

浜離宮恩賜庭園は東京汐留にある都立庭園です。筆者は初めて訪れましたので、公式サイトから引用してこの庭園を紹介します。

 

潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。
旧芝離宮恩賜庭園清澄庭園旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけです。
この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年(1945年)11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年(1946年)4月有料公開されるに至りました。なお、国の文化財保護法に 基づき、昭和23年(1948年)12月には国の名勝及び史跡に、同27年(1952年)11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。

 

芦原を埋め立ててできた土地を将軍の別邸として整備した庭園です。

新橋駅から汐留方面に歩いて15分程度で大手門口に着きます。

六代将軍徳川家宣が庭園を大改修したとき、植えられたといわれるクロマツ

 

汐留の高層ビル群をバックに見る日本庭園

 

潮入の池、つまり江戸湾の海水を引いた池です。海の魚が住んでいるそうですがこの日は水が濁って見えませんでした。

東京湾に面し、レインボーブリッジが見えます。あちらは江戸時代に造られたお台場跡です。

東京の真ん中にある公園ですが、木々が大きくなっています。

太平洋戦争の東京大空襲でこの庭園は焼失したので、戦後復興した公園の木々が育っています。茶屋も焼失したので発掘し忠実に復元されています。

 

早春の梅を目当てに来ましたが、まだ3分咲き程度です。

「思いのまま」という名札がついた梅の木は、紅と白の花が一つの木に咲いていました。

お花畑には菜の花が植えられ、七分咲きでした。時期をずらして植えているので3月まで楽しめるそうです。

高層ビルをバックに見る花は面白い。

 

帰りに、隣の「カレッタ汐留」に入って食事をし、46階の展望スペースに昇ってみました。このビルは電通ビルで、社員専用展望室の隣に一般開放された展望台です。

浜離宮の全景が見えます。

2024年2月12日 

隣は、築地市場の解体跡地が残っていました。この先に勝どき、晴海の高層マンションが広がっています。

埋立地の人工的公園と思っていましたが、350年も経って雰囲気のある公園でした。