naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

一眼レフデジタルカメラ-2(2002)

一眼レフデジタルカメラ-2

600万画素、というのは35ミリフィルムと同等、というのが「定説」となっているが、どうなのだろうか。

35ミリフィルム(36x24mm)は銀塩写真の中では小型であり、新聞の報道写真は全て35ミリまたはデジタルだが、雑誌の見開き写真などは、ブローニーフィルムの6x4.5、6x9(cm)以上でないと通常は使われないのをご存じだろうか。印刷物の精細さはスクリーン線数(1インチあたりの線数=lpi)で表される。画像に要求されるデーター解像度は、線数の2倍程度と言われている。600万画素で画像を得ると3000x2000ドットであるから、以下のような大きさに印刷できる。

新聞 85lpi=画像 170dpi  横寸法(3000/170)x24.5=432mm 縦寸法(2000/170)x24.5=288mm

美術書 177lpi=画像 354dpi 横寸法(3000/354)x24.5=208mm  縦寸法(2000/354)x24.5=138mm

新聞なら一面の上半分を大見出しで飾れる大きさ、美術書ではA4サイズの半分までのインデックス図版程度にしかならない、ということだ。

個人の印刷ならインクジェットプリンタの写真画質が720~1440dpiである。必要データー解像度は以前書いたように、その1/2~1/3である。

インクジェットプリンタ 720dpi=画像 240dpi  横寸法(3000/240)x24.5=306mm 縦寸法(2000/240)x24.5=204mm

今となっては最低水準の写真画質プリンタでA4サイズまでである。経験的にはその倍(寸法で1.4倍)のA3までは問題ないだろう。

どうだろうか。高画素になると、画面で見る人は余程のあら探しでもない限りいないので(実際にはデジカメになってからパソコン画面で見ることが多いのであらばかり見ているが;)、紙への出力を前提に考えてみたが、600万もなんだその程度か、という感じだろうか。
実は35ミリフィルムも同じ感覚なのである。大体、四切り(A4程度)まで引き伸ばし可能と言われている。実際には全紙(A2程度)や全倍まで引き伸ばしたこともあるが、白黒写真ならば破綻しない。カラーではやはり四つ切りまでだろうか。こう考えると600万画素が35mmフィルムと同等というのもうなずける。

 

ところでこの検討は、画像データが、印刷データに必要十分なことを前提とした寸法を求めたが、写真のジャンルによって鑑賞方法の違いがあるので、この限りではない場合もある。

カメラ業界においてピントの許容範囲を被写界深度と呼び、これは人が肉眼で見たとき、点に見えるボケの大きさ(許容錯乱円直径)をどう考えるかによって異なる。

1.明視距離(視力1.0の人が目を緊張させずに見るのに適した距離)250mm先で、見分けられる限界は、通常照明で2′(1/30度)とされ、その大きさ0.16mmが許容錯乱円直径である。

2.さらに引き伸ばし写真を一目で明視の距離で全体が眺められる引き伸ばし寸法の対角線長さが明視の距離250mmと等しく、250mmとする、という条件を写真の標準鑑賞条件としている。200x140mm程度(カビネ大)である。

この見方の時に、実際の撮影対象の大きさが再現される条件は、フィルム(撮像素子)の対角線長さがレンズの焦点距離に等しいときである。35ミリフィルムで43mm≒50mmが「標準」レンズである。ちなみにAPSサイズデジタル一眼レフは約30mm。

分かりにくかったが、写真は標準の見方があって、そこでのボケが見えなければ良いのである。ボケ0.16mmをレンズ解像度とすると、200x140mmは横1250x縦875ドット、100万画素相当である。しかしボケを構成するのに1ドットではできないので、4ドットで400万画素、6ドットで600万画素。ボケが四角いドットで見えるのではなく、滑らかなドットで構成されたボケの方が、高品位画像に見える。

レンズの解像度は100万画素相当でよいから、35ミリフィルム上で1250/36=35本/mm必要になる。

 

何だか変だなあ、とお思いの方、以下のようなところが引っかかるのではないだろうか。
実はこの定義で行けば、写真は引き伸ばしサイズの対角線長さよりも近づいてみることは許されない。全紙なら70-80cm離れて見ないといけないのである。女性ポートレートなどはこのくらいが良い。本人がにっこり微笑んでいるかのような距離である。ところがこれ以上近づくと、見えるのはシミ、しわ、毛穴・・;;。
しかし写真には集合写真や風景写真がある。集合写真はまず自分の顔、家族の顔を近づいてみる。風景写真は最初は全体を見るが、気が付くと落ち葉があったり、砂浜に貝があったり、そんな発見がある。ちょうど細密画を見るかんじである。だから引き伸ばせば伸ばすほど細かく見たいのが風景写真だ。

それでも写真表現の目的から言って細密度ばかり追求するのはおかしい。その最たるものはスパイ衛星だが。

ここで言いたいのは、写真表現を鑑みて、写真機は上記のような考え方で設計していること。(ブローニーカメラであってもレンズ解像度は同じ設計思想であるから35ミリより解像度は低い)
デジカメもその延長上にあり、レンズ解像度、ピント合焦精度(被写界深度)は、600万画素のためではなく、プリントした写真表現のためにあるということである。

デジカメも600万画素を越えると、データー量は35ミリフィルムからブローニーの世界へ入ってくる。画素数は写真にとっては多ければ多いほど良い。しかしそれは解像度のためではない。同時に自分が何のためにその写真を撮るのか、プリントサイズまで考えなくてはそれは意味のないことになるのである。

そりゃ、より細かく写っているに越したことはないが、特にデジカメではそこに落とし穴があるのだが・・。

以下次号;)

2002.7.12 16修正