naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

斑鳩の里(2000)

斑鳩の里

前、出していた表題の写真(左)と今回の写真(右)は斑鳩の里、法起寺の写真です。前のが1984年ですから16年目の写真と言うことになります。時期は同じゴールデンウイーク中です。

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今回は子供連れで行ったので、長距離を歩くわけにも行かず、しかも当日の気温が28度あったらしい。奈良は盆地なので夏も暑いのですが。古代の生活にはつらかったと思うのだけど、なんでここにしたのだろう。
斑鳩法隆寺が有名な場所ですが、都があったわけではなく、飛鳥(明日香)に都があった頃に聖徳太子が住んでいた所に寺が建ったわけです。ですからその当時から民家はほとんど無かったのでしょうが、それほど明日香、奈良市斑鳩町は距離もあり別の雰囲気があります。
小学校の頃、法隆寺の金堂に惹かれて(五重塔と金堂のプラモデルまで作った)夏休みに家族や親戚と行ったのが始めてで、中学修学旅行でも行きましたが、1984年に久々に行ってお寺よりもその周辺の風景に惹かれたのでした。その時は学生時にクラブで一緒だったA氏、T氏と同行して生駒から柿田川を越えて斑鳩へ入り法隆寺から法輪寺法起寺へ歩き通したのでした。生駒は大阪のベッドタウン化して大規模な住宅地が開けていましたが、斑鳩はまだまだのどかな古い町並みが残っていました。
それ以来、数年に一回はこの地を訪れていました。大体明日香か奈良にも同時に行っていましたから短期集中的に写真を撮ることが出来ました。ですが季節は大体秋で、春に行ったことは無く、今回は実に久しぶりに春に行ったのです。また、昨年秋に奈良に行ったときも子供連れで明日香、奈良と同時に行くことは出来なかったので、その点でも久しぶりでした。


で、この写真ですが、一番大きな違いは法起寺の周囲が実にきれいに整備されていたのでした。三重の塔の後方に背の高い木が茂っていたのが全部伐採されていて、また裏手のあぜ道、耕地が平坦になっていて、すとんと塔まで見通せるようになっていました。
これでは塔とレンゲ畑の間にある温室や畑を隠すことが出来ず、構図を決めることが出来ませんでした。ちなみに法起寺の塀もきれいになっていて、以前のひび割れた土塀ではなくなっていました。このことに関し、何かを言う立場にはないし、喜ばしいことではあるのですが、何ともうまくは言えない雰囲気が失われたことは否めません。
この他にも法隆寺五重塔が遠望できる場所があったのですが、電線、電柱、ガードレールが完全に興ざめの位置にあって、何とも歯がゆい思いでした。そういえば随分新しい住宅が斑鳩には増えたようです。それは良いことなのです。ですが日本には古代の伝統と共存する方法がないのです。


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この景観でこれだけの電線があるとは、残念・・・。

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写真は引き算だ、と言いながら、高台に上り望遠でじゃまな電線を消しました。
でもね、この構図、左右どちらにも振れないのですよ。電柱があるから。窮屈だな。

こんな状態では、「神の国」なんて言っているやつの気が知れませんね。(あのひとと言っている意味は違っていますが。ああ、あれは意味なんて無いんだっけ)

2000年5月28日  6月3日追加