naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

うたかたの・・ブルートレイン

ブルートレイン」という名称は1975年昭和50年頃の鉄道趣味誌の通称だったように思うが、それ以前から、東海道本線の東京口では、在来線の特急が激減したため、「寝台特急」に人気があった。

筆者の住む横浜近辺では、昭和40年代、夏休みの朝の体操の後、自転車を飛ばして寝台特急を見に行くのにちょうど良かった。体操の終わった午前6時45分から行くと、ちょうど「あさかぜ」「瀬戸」が見られる時間で、それから急いで帰って朝食をとって、また行くと9時半から11時くらいまで、「あさかぜ2」「みずほ」「富士」「はやぶさ」「さくら」(順番は忘れてしまったが)までエンドレスで見られるのだ。もっと早起きすれば、「出雲」「銀河」も見られ、急行「高千穂・霧島」もあったからきりがない。

そのころは、EF65 500番台P型が牽引機関車であり、客車も20系寝台客車が主だった。しかし、一般的には蒸気機関車の終焉に近く、このような特急客車群は、鉄道ファンにはまだ人気が無かった。それがSL全廃後、昭和50年前半、鉄道雑誌上で「ブルートレイン」として大々的に取り上げられ、おりしもスーパーカーブームと相まって、少年の人気の的だった。
筆者の世代はその狭間に当たり、特に牽引機がEF65 1000番台に変わってから、急速に熱が冷めてしまった。自分のカメラを手にしたのはその後であったから、もっとも熱心に見に行っていた頃の写真はほとんど残ってない。
むりやりお見せするほどのものではないが、その頃の写真である。客車は新造間もない頃の14形。

1972年だと思う。「はやぶさ保土ヶ谷権太坂付近。
Ef651972

「さくら」。これはめずらしく平沼橋で。
Ef651974

そんな「寝台特急」がいよいよ廃止される。
このブログにも過去にさくら、銀河の廃止が出ているが、最後に一本のみ残った「富士・はやぶさ」が終焉の時を迎えたのだ。

だが、「富士」「はやぶさ」という優等列車が併結され、食堂車も無い編成は、正直に言って、”ぬけがら”のようで、痛々しかった。
それでも、筆者にとって思い出となる「ブルートレイン」に別れを告げるため、早めに撮影にでかけた。

正月に、清水谷戸トンネル付近で。

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同じく清水谷戸トンネル付近で撮影。

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トンネル内がちょうど勾配の頂上にあたる、明治時代の苦心の設計。
その向こうに、走り去る寝台特急「富士」。

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これは相模鉄道西横浜駅跨線橋から撮影。
ここも昔は見通しが良かったが、”落下物防止”の網がはられて、その隙間から見る。

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こうして、泡沫のように”ブルートレイン”は去って行った。