naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

2001年1月17日に思ったこと

2001年1月17日に思ったこと

もし神戸に地震が起きていなかったらどう変わっていただろう。町並みは以前のごとく、戦前の日本家屋とマンション、プレハブの混在であっただろう。その取り合わせの妙はそれを意識しなければ見落としていただろうし、僕は写真にも撮らなかっただろう。それでも徐々に世代交代が進み日本家屋は減っていっただろう。

阪神電車はもともと予定されていた新車5500系の新造が進み、急行系の新車も出ていたかもしれない。でも経営方針が保守的だから、直通特急は無かったかもしれない。一方明治時代からの駅舎や線路がもっと残っていたかもしれない。新車の塗装も従来通り、僕の好きな色のままだったかも知れない。

だが,

もっともっと多くの神戸人がいっぱい元気でいたはずだ。6000の神戸人が一瞬にしていなくなってしまった。最近は神戸弁も目立たなくなってきたが、それでも流暢な神戸弁というものは大阪弁とも違うものだ。その神戸弁を話す6000もの人々が居なくなった。そして、残された神戸人一人一人の心に大きな傷跡が残ることが無かった。本当にそれは大小に関わらず全ての神戸人に残った傷跡だ。

もし地震が無かったら、それがもっとも重要な違いだろう。

町は復興し、復旧はしなかった。人も。復興のほうが前進するから良いのだと言う人がいる。僕はそう思わない。元々いた人を除外するような復興ならいらない。もし可能ならば全てが復旧してほしかった。町も人も。

2001年1月18日