naka-maの心言・2

http://naka-ma.tea-nifty.com/butubutu/ 「naka-maの心言」続編です

ウルトラマン苦戦中!!

土曜日の朝7時30分から、特殊撮影空想科学シリーズ「ウルトラマン」の末裔であるテレビシリーズをやっている。
先日「ウルトラマンネクサス」が終了し、新番組「ウルトラマンマックス」が始まって、「ウルトラマン」シリーズが継続した。
特に今回の「マックス」は5月から番宣が始まり、かなりの熱の入れようで、過去の特に昭和40年代の怪獣が再登場する、怪獣デザインを募集して採用された怪獣を番組に登場させる、など趣向を凝らしている。番組の雰囲気は明るく、未就学児を意識した番組である。
この力の入れようは、実はウルトラマンシリーズの最大の危機であるという認識で行われているのだ。

前作「ネクサス」は、主人公の弧門隊員が変身するのではなく、二人(正確には4人)の歴代「適応者」がウルトラマンに変身するのを、はじめは傍観者として、徐々に隊員として成長した後、サポーターとして支え、最後には自らが「光」を受け継いで(ネクサス)、ウルトラマンになって最大の敵「ダークザギ」(こいつは同じチームの隊員だった!)を粉砕する、というかなり凝った作りのドラマだった。
大筋は非常に好感の持てるもので、まじめに作られていたし、低予算がささやかれる中では、CGも駆使した特殊撮影が光っていた。

しかし、前半、弧門の恋人が実は悪のウルトラマン(ダークザギに殺された上に操られた;)だったり、「適応者」がぼろぼろになっても、防衛軍に「人体実験」されてしまったり、防衛軍は人民が怪獣やウルトラマン、特捜チームに関わるとその記憶を消したり、ずっとフラストレーションがたまる展開であった。後半それらの謎が解ける仕組みだったのだが、あまりに「鬱展開」だったので、子供より母親が嫌ったようで(実際朝っぱらからハードな気持ちの悪い化け物=怪獣ではない=が出てくるのはどうか)、視聴率は2%台と、「ウルトラ」史上最低となったそうだ。(深夜番組だったウルトラQダークファンタジーはのぞく)

さらにスペースビーストという化け物は、人を食う。それがやたらと執拗にリアルにホラー映画のように表現されるので、子供も怖くなったようだ。これは制作意図として、従来の視聴者層を未就学児から小学校高学年以上へ引き上げ、おもちゃだけでなくテレビゲームなどの商品展開を狙ったことだった。しかし、これは過去の「ウルトラシリーズ」、特に円谷英二がこだわっていた「子供に夢を与えるファンタジーとSF」路線の中で「嫌悪感を抱かせない表現(たとえば血のりを使うとか、死骸が腐敗するとか)をさける」というスタンスを反故するものであった。このあたりが過去のコアなマニアまでそっぽを向く要因だったかもしれない。

昔は脚本段階の問題表現も監督が修正する(たとえば「ウルトラマン」最終回、ゼットンウルトラマンのカラータイマーをぐしゃりと壊し、その後もウルトラマンの死体を叩き付ける、という脚本は映像化されなかった。作品ではむしろ格闘がなく、ガンマンの一騎打ちのような雰囲気である)ということで、作品のクオリティを守ってきたのが、今回、マニアックな脚本家の本を言う通りに撮ってしまったことに問題がある。なぜ円谷プロ内部でそれに気がつかずに放映したのだろう。

シビアな脚本=恐怖映画ではない。今回の話の展開は確かにドラマとして面白く、一部には評判が良かったのだが、それでも筆者には、出来上がった映像がただ暗いだけで、それが高学年向けとは思えなかった。もっとウルトラらしい爽やかなスカッとした映像であって、かつ、高度なドラマ仕立てを期待したのだが。

現在、「ウルトラマンマックス」は、一転、明るい雰囲気で、特捜チームの女性もかわいく(これは大きなお友達向けには大事)、出だしはよいようだ。しかし、前作を完全否定に走っているようで、残念だ。ちょっと極端から極端に走り過ぎなのが気になる。意外に知られていないことだが初期のウルトラマンは、正統派の特撮ドラマ以外に、突然社会派ドラマやコメディも入ってバライティに富んでいた。今度のもそうなることを願い、「ウルトラ」が存続するように期待する。